1950年代生まれ PR

風吹ジュンさんは昔誘拐されていた?事件の真相は?

風吹ジュン
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60歳を過ぎても美しく、女優活動を続けている、風吹ジュンさん。

昔、誘拐事件に巻き込まれていたことがありました。

清純派アイドルで人気だったので大変な話題になったようです。

どんな事件だったのかを振り返ってみました。


風吹ジュンさんのプロフィール

 

  • 本名 :川添 麗子 かわぞえ れいこ(旧姓:堀川)
  • 生年月日 :1952年5月12日(67歳)
  • 出生地 :富山県婦負郡八尾町(現在の富山市)
  • 身長 :157 cm
  • 血液型: B型
  • 配偶者 :川添象郎(1981年 – 1992年)
  • 家族:長男、長女
  • 趣味:中国茶、アロマテラピー、写真、絵・イラスト、iPod、映画・DVD鑑賞
  • 愛読書:「花伝書」(著者・世阿弥)、「共同幻想論」(著者・吉本隆明)
    「くちぶえサンドイッチ」(著者・松浦弥太郎)
  • 友人:都築響一さん、鮫島有美子さん、簡里佳さん
  • 健康法:ピラティス、サプリメント、デトックス
    アロマテラピー、プロポリス、リンゴ酢
  • スポーツ:スキューバダイビング、乗馬、スキー
  • 愛車:ベンツ

 

風吹ジュン

風吹ジュンさん、昔の誘拐事件の顛末

当時、山口百恵さんをしのぐ人気があった風吹ジュンさんでしたが、歌手デビューして僅か4ヶ月で大きなトラブルが起きました。

風吹ジュンさん、マネージャーが拉致、恫喝される!

 

1974年9月12日午後6時半頃、テレビ番組の収録中に何者かが押しかけ、風吹ジュンさんの所属事務所Bのマネージャーを連れ去りました。

そのうえで「風吹ジュンには事務所Aとの契約が残っている。風吹ジュンに事務所Aと話し合うように伝えろ」と指示。

「その時、事務所Bの社長も連れさられ、社長はゴルフクラブで額を殴られ、血まみれだったそうです」(当時を知る芸能関係者、談)

風吹ジュン

風吹ジュンさん誘拐される!!

翌、9月13日午前0時過ぎ、テレビ番組の収録を終えて局を出た風吹ジュンさんと事務所Bの社員を待ち構えていた男たちが乗用車に押し込み、東京・品川区内の高級ホテルに連れ込んだのだ。

ホテルの一室には、反社会的勢力風の人たち、事務所Aの社長、テレビでも活躍していた有名作詞家らがいて、話し合いが持たれ、事務所Bへの移籍の無効を告げられた風吹ジュンさんはとりあえず口頭で話を了承しました。

この間、事務所Bの社員から連絡を受けた顧問弁護士が警視庁に「誘拐された」と通報。

警察がホテルを包囲!

警察は「暴力団絡みのタレント誘拐事件」と判断、捜査員50人とパトカー20台をホテルに出動させ待機させました

午前2時、ホテルのロビーで事務所Aの社長らと一緒にいた風吹ジュンさんを保護。全国紙でも報道されました。

風吹ジュンさん自身が誘拐などのトラブルを否定したため、この夜の騒動はとりあえず落着しました。

事件は意外な展開に・・・

翌日の記者会見から事件の真相は少しずつ明らかにされていき、騒動は思わぬ展開に発展していきました。

8月まで所属していた事務所Aの給料などの待遇面で不満を持っていた風吹ジュンさんは、事務所Bの社長を紹介され給料アップを条件に8月27日移籍に関する委任状を交わしました。

翌28日、「事務所Bの社長が反社会勢力と関係している」とリークした別の事務所Cの話に乗せられた風吹ジュンさんはBと委任状を交わしたまま事務所Cとの契約を結んでしまいました。

●契約解除を認めていない事務所A
●本人の委任状を手にしている事務所B
●移籍契約を結んだとする事務所C

複雑な三重契約という失態。

風吹ジュンさんは記者会見の席上で「夜から明け方までしつこく言われたんです。とにかくハンコを押せといわれて、契約書みたいなものに手を取られて拇印を押されたんです」と、事務所側の狡猾な手口を強調しました。

しかし、契約時に録音された会話のテープが後に公開され、風吹ジュンさんは全てを承知の上で契約していた事が判明してしまいました。

風吹ジュン

出典元:zakzak

事務所間のタレント転がしと風吹ジュンさんの損得勘定から起きた騒動は、事務所Bに所属することで一件落着し、芸能活動も続けていく事となるのだが、彼女の清純派というイメージは崩れ去っていきました。

NHKからはしばらくの間、出演禁止になっていたようです。

一躍、週刊誌のターゲットとなってしまった風吹ジュンさんは、デビュー時のプロフィールの詐称や男性遍歴などが暴かれて清純派アイドルとしてのイメージが崩れていきました。

数々の暴露記事にたいして、風吹ジュンさんは一切弁明しませんでした。自らスキャンダラスな過去を肯定し、強く生きる道を選びました。








風吹ジュンさん、若い頃のアイドルから女優へ転身

清純派アイドルとしての人気はなくなりましたが、1975年には、テレビドラマに出演し、女優活動

最後に出したシングル「23歳」がTBS「寺内貫太郎一家2」の挿入歌に選ばれたのがきっかけで、樹木希林さんと出会い、トラブルの相談にのってもらっているうちに、プロデューサーに紹介され、女優業に転身することになりました。

水商売のホステスを1年、モデルの仕事を1年、歌手として1年の目まぐるしく変化する状況に流されることなく、女優という仕事にめぐり逢いました。

風吹ジュンさん、「寺内貫太郎一家」で寺内家の若い長女役を好演

TBS「寺内貫太郎一家2」(1975年) – 寺内節子役

寺内貫太郎一家

女優として活躍しはじめた・・・ところが、またトラブルが・・・

風吹ジュンさん、再び独立問題からトラブル発生!!

1976年2月、バラエティー番組出演をすっぽかしてしまいます。

事務所Bとのトラブルが原因でした。

事務所Bとは1975年9月で契約は法的にも切れていました。

再契約交渉中の1976年1月には弁護士を通じ2月以降、事務所Bの仕事はしないという内容証明を彼女は送っていたそうです。

風吹ジュンさんは2月以降も元マネージャーとともに取った仕事を地方でこなしており、彼女の弁護士は東京地裁に出演妨害禁止仮処分申請を提出していたのです。

事務所Bとの再契約を拒んだ理由として、風吹ジュンさんは歌の才能に限界を感じドラマへ活路を見出そうとしていましたが、事務所側はあくまで歌手で売り出したいと思っていた為、両者が対立したとされています。

地裁の調停は素早く、2月下旬に風吹側弁護人と事務所Bの和解が成立。

事務所Bが契約した仕事を5月まで消化、その後は風吹ジュンの芸能活動を一切妨害しないという条件で合意されました。

3月に記者会見を開いた、風吹ジュンさんは

「自分を偽る人生はもうイヤです。私はタレント活動を人間活動としてやりたかった。
これからはやりたい仕事だけをやっていく。タレント失格と言われてもかまいません」

と語っています。


トラブルによって一時は仕事に影響がでましたが、徐々に出演も増えていきました。

風吹ジュンさん、1981年29歳の時、川添象郎さんと結婚

1981年、29歳の時、結婚しました。お相手は音楽プロデューサーの川添象郎(かわぞえ しょうろう)さん。

風吹ジュンさんの元旦那の川添象郎さんは音楽プロデューサーとして、古くは松任谷由実さん、YMO、最近では青山テルマをプロデュースするなどすごい人物なので別の記事にまとめてあります。

川添象郎さん
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2年間の同棲生活を経ての結婚でした。

1984年に長女が誕生、1986年に長男が誕生しましたが、1992年に川添象郎さんと離婚しています。








風吹ジュンさんは昔誘拐されていた?事件の真相は?まとめ

40年以上昔にあった風吹ジュンさんの誘拐事件を振り返ってみました。

当時は週刊誌の話題にもなったようです。

最近も、ジャニーズの脱退騒動とか、吉本興業のごたごたとか、芸能事務所と芸能人のトラブルが話題になりますが、昔にこんな事件があったんですね。

風吹ジュンさんははっきりと自分の意見を述べたことでその後の活動に繋がっていったのだろうと思います。

若い頃の風吹ジュンさんのエピソードや、若さの秘訣の中国茶についてはこちらにまとめました。

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