おニャン子クラブのメンバーとして活躍されていた国生さゆりさん。
その後は女優へと転身し、今もなお第一線で活躍し続けていますね。
そんな国生さゆりさんの出身校や生い立ち、おニャン子クラブでの活躍についてご紹介します。
国生さゆりさんのプロフィール
- 本名:國生さゆり
- 生年月日:1966年12月22日
- 出生地:鹿児島県鹿屋市
- 血液型:A型
- 身長:162cm
- 佐世保市立春日小学校
- 鹿屋市立西原小学校
- 鹿屋市立第一鹿屋中学校
- 鹿児島実践女子高等学校
- 清水ヶ丘高等学校
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国生さゆりさんの若い頃、スポーツ万能の学生時代
国生さゆりさんの父親は海上自衛官、兄弟は2歳下の弟がいます。
父親の転勤にともなって学校も転校が多かったようですね。
国生さゆりさんの名前は本名。
「さゆり」は父親が吉永小百合のファンであったことから、あやかって名付けられたとのとです
中学、高校と陸上部に所属。
インターハイの広島県代表選手にも選ばれました!
100mのベストタイムは12秒8!すばらしいですね
国生さゆりさんの若い頃、高校生のとき、コンテストに応募
高校在学中の1984年に
第3回ミス・セブンティーンコンテストに友達と一緒に応募しています
このコンテストには、歴代最大の18万325人が応募。
同コンテストの出場者には、後に同じグループとなる工藤静香さん、渡辺満里奈さんも出場していました。
国生さゆりさんは中国地区代表に選出され全国大会に出場
残念ながら入賞はできませんでしたが
コンテスト後にCBSソニーからレコード会社対抗の運動会要員として出場しないかと声をかけられ、このことが後の芸能界デビューのキッカケとなりました。
CBSソニーは、運動会で社名のゼッケンをアピールしてほしかったようです。
正式なデビューではありませんでした。
高校卒業後は広島のデパートで資生堂の美容部員として就職が決まっていましたが、芸能界デビューするために高校卒業と同時に上京。
国生さゆりさんの若い頃、おニャン子クラブの会員番号8番としてデビュー
深夜番組『オールナイトフジ』の特別番組『オールナイトフジ 女子高生スペシャル』に出演しました。
この番組は『夕やけニャンニャン』のパイロット番組で、番組の中でアシスタント兼マスコットとして結成される女性アイドルグループ・おニャン子クラブのメンバー選定も含まれていました。
この番組でおニャン子クラブのメンバーに選ばれることに・・・
そのときの映像がこちら
このコンテストでみごと優勝!
就職するか迷っていた国生さゆりさんは本格的に芸能界へ進むことになりました!
1985年(昭和60年)4月に、おニャン子クラブの会員番号8番としてデビュー。
当時、学生が売りのおニャン子クラブの中で年長だった国生さゆりさんは、運動部の経験もあったせいでしょうか?徐々にリーダー格になっていきました
国生さゆりさんの若い頃、おニャン子クラブがブレイク!しかし・・・
『夕やけニャンニャン』の放送開始から三ヶ月後、
おニャン子クラブはデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」でブレイク!
しかし、人気はフロントヴォーカルの4人である新田恵利、中島美春、福永恵規、内海和子に集中
バックで踊っていた国生さゆりさんはその他大勢でしかありませんでした・・・
この当時について、国生さゆりさんは
「ソロで出れるのか、グループで出れるのか、それとも出れないのか、とてもピリピリしていた。」
「先にソロデビューを果たしている新田恵利や河合その子を応援したいという気持ちと嫉妬心とが入り混じり、女の子ならではのとても複雑な気持ちで見ていた。」
と振り返っています。
国生さゆりさんの若い頃、『バレンタイン・キッス』でソロデビュー
1986年に国生さゆりwithおニャン子クラブとして『バレンタイン・キッス』でソロデビュー。
サブボーカルとして、白石麻子・渡辺美奈代がついていました
当時おニャン子ブームはピークとなっていて、約30万枚のヒットとなり、現在でもバレンタインシーズンには定番の曲となっています
その後、おニャン子ブームは徐々に下火になっていきますが、国生さゆりさんはソロとして頭角を表していきます
“涙、もう恥ずかしくないもん!”
ダンク 1986年(昭和61年)9月号#国生さゆり#昭和 pic.twitter.com/UsgsGmSZdy
— 懐かしい昭和時代 (@natsukashi__) August 20, 2018
国生さゆりさんの若い頃、シングルジャケットで可愛さを堪能
1986年02月01日発売のファーストシングル
国生さゆりさんの歌唱力は?
おニャン子ブーム全盛期にもかからずランキング2位・・・
という微妙な曲ですが、バレンタインの定番ソングとして定着しています
#小倉唯 バレンタイン・キッス pic.twitter.com/hSjyMs1n2x
— にゃ〜たん (@seiyubot) December 5, 2020
1986年05月10日発売
セカンドシングル「夏を待てない」
ノーブルレッドの瞬間
1986年08月14日発売
カネボウ化粧品のイメージソングでした
かわいいですね
1987年03月11日発売
星屑の狙撃手(スナイパー)
1987年05月28日発売
「ソレ以上、アレ未満」
1987年10月01日発売
「恋は遠くから」
1988年04月30日
「ガラスの森」
国生さゆりさんの若い頃、女優として大活躍
1987年、初主演映画『いとしのエリー』が劇場公開。
国生さゆりさんがバイクの免許を持っていたことから、原作にはないバイクに乗るシーンが追加されました。
歌手としての活動は縮小していきましたが、女優として『キスより簡単』で連続ドラマ初主演を果たしました。女優として演技力が評価されて順風満帆のハズでしたが・・・
1991年のドラマ『しゃぼん玉』出演以降、長渕剛との不倫関係が噂されるようになりました・・・
この共演から恋に発展・・・
不倫関係となってしまいましたが、長渕剛さんの薬物による逮捕
それに伴う、国生さゆりさんへの薬物疑惑が浮上
そして関係を清算することになりました
「長渕さんの奥さんと対面し、関係を清算することを約束しました」「尿検査を受けて無実です」
2018年の「梅沢富美男のズバッと聞きます!」で過去を振り返り
「自分の責任なんだけど。ちょっとやらかしすぎでしょ。恋愛も周りの人は止めたもん。だから、人のいうこと聞いておけば良かった」
と語っています。
国生さゆりさんの若い頃、まとめ
その後、結婚離婚を繰り返し恋多き女というキャラや、自由奔放な発言が話題となりますが、不思議に嫌われることなく芸能界で生き残っています。
生意気だが、なぜか憎めないキャラと、
「バレンタイン・キッス」という永遠のヒット曲がたびたびリバイバルしたり、リメイクされたりすることが憎めない魅力につながっているようです
等身大で芸能界で生きているという部分では、「風吹ジュンさん」に近いのかもしれません