宍戸錠さんは、日活映画で小林旭さん赤木圭一郎さんなどのスターとともに黄金時代を支えていました。
「エースのジョー」は2020年1月に86歳でなくなられましたが、宍戸錠さんの若い頃を振り返ってみたいと思います。
宍戸錠さんのプロフィール
- 本名 宍戸 錠
- 生年月日 1933年(昭和8年)12月6日
- 没年月日 2020年1月18日(86歳没)
- 出生地 大阪府大阪市北区
- 身長 174cm
- 血液型 B型
宍戸錠さんの若い頃、裕福な家庭に生まれたが・・・
宍戸錠さんのご両親は関東大震災時で被災、大阪に居を移しました。
父は大阪の商社・アーサー・バルファーに勤めていましたが、工作機械を扱う会社を起業して独立し大成功。
満州事変の特需で250万円(1978年頃の貨幣価値で60億円)を儲けました。
この後、1933年(昭和8年)宍戸錠さんは大阪で出生。
「錠」という名前の由来は宍戸家が子沢山だったため、『この子を最後の子にしたい(子作りに錠前を掛ける)』という両親の思いがあったからだといいます(その後に実弟の郷鍈治が生まれることとなります)。
宍戸家のあった桜宮は下請けの町工場と風俗街で、子供の環境に悪いと3歳から5歳の頃、家族で東京滝野川へ移り住み、父は仕事を辞めその後は亡くなるまで定職に就かず、1300坪くらいの家を建て、一家は裕福な生活を送りました。
しかし・・・
宍戸錠さんが小学6年生の頃に東京大空襲で自宅が全焼。
跡地はドサクサに紛れた何者かに居座られ、奪われ、全てを失ってしまいます。
遠い親戚を頼り宮城県斎川村(現在の白石市)に疎開。当地に父が家を建て、高校卒業まで当地で育ちました。
宍戸錠さんは子供の頃から勉強もスポーツもよく出来、高校ではバスケットボール部に所属。
プロ野球選手か、実業団で野球をやるか俳優をやるか考え、1952年高校卒業後、早稲田で演劇をやろうと試験を受けたが落ち、日本大学藝術学部に進みました。
大学へ入学したものの、学生の演劇に物足りなさを感じて、日活ニューフェイスに応募。
8千人の応募があった中で合格者は男子8人、女子13人で合わせて21人でした。
合格後、大学を2年で中退しました。
宍戸錠さんの弟に、俳優の郷鍈治(ごうえいじ)さんがいます。
郷鍈治さんは主に悪役で活躍。宍戸錠さんとも共演されています。
宍戸錠さんに紹介された、歌手のちあきなおみさんと結婚。ちあきなおみさんの事務所の社長となりましたが、55歳で亡くなっています。
息子の、宍戸開さんも役者として活躍されていますね。
宍戸錠さんの若い頃、日活ニューフェイスで芸能界へ
1954年、日活ニューフェイス(第1期生)として入社。
1955年、『警察日記』での若い巡査役で銀幕デビュー。
当初は、端正な顔立ちを生かした二枚目路線でしたが、役者としての人気は今ひとつ・・・
そこで宍戸錠さんは、美容整形手術で頬をふくらませ、個性派俳優を目指すことに・・・
昔から「第三の男」のオーソン・ウェルズみたいなアクの強い顔に憧れてた。ハーフだったらきれいなだけの顔立ちでいいだろう。だけど自分の持ち味はそこじゃないし、こぎれいな優男では一般大衆にウケない。自分には“何か”が必要だった。
出典元:AERA
そこで、会社には内緒で整形手術を受けました。役者として成功したい一心でした。
そりゃあ、病院のドアをノックするまでは迷ったよ。ビルの前を通り過ぎては、戻ったりしてね。でも、このままじゃ自分は俳優として長生きできない、主役にはなれないと思ってた。医者にも「美男子だから、そのままでいい」って反対されたんだけど、俺はやるって決めたんだ。
出典元:AERA
当時は、男の美容整形は一般的ではなく、批判の方が多かったようです。
ふくらんだ頬は、宍戸錠さんのトレードマークとなり個性派俳優として人気者になって行きました。
「それはそれでいいんですが、一方ではもし整形しなかったら、もっとすごい俳優になれていたかもしれないっていう意識も常にあったんですよ」
と述懐しています。
これを機に「アクの強い役=悪役」への転向を果たしました。
宍戸錠さんの若い頃、日活アクション映画で大活躍
「渡り鳥シリーズ」
では小林旭さんとの名コンビで人気となりました。
二人とも運動神経抜群で派手なアクションシーンと、なぜかギターを持っているキャラクターの小林旭さん、殺し屋の宍戸錠さん、ヒロインの浅丘ルリ子さんとスターぞろいの人気シリーズでした。
赤木圭一郎さんとは「トニーとジョー」のコンビで人気となりました。
「拳銃無頼帖」シリーズでは赤木圭一郎さんと宍戸錠さん主演
拳銃使い抜き射ちの竜(赤木圭一郎)と殺し屋コルトの銀(宍戸錠)が毎回敵対しながらも、一緒にギャング組織と戦うストーリー。
しかしながら、赤木圭一郎さんの事故死で4作品で終わりました・・・
若いですねえ、今でもきれいな映像で残っているものですね。
宍戸錠さんの若い頃、「エースのジョー」の由来は?
1961年に初主演映画「ろくでなし稼業」の公開時に名付けられた。それまで小林旭らの敵役として活躍してきたが、日活の方針で主演役者に路線変更する際、宍戸が「ハリウッドの3流ギャング映画的な“殺し屋ジョー”でやりたい」とリクエストしたところ、日活宣伝部の部員が名付けました。
宍戸錠さん主演の「殺しの烙印」が問題作に!
1966年、鈴木清順監督の「殺しの烙印」は、エログロ映画として問題になり、映画人や大学生有志による「鈴木清順問題共闘会議」が結成されて、映画界を巻き込んだ一大騒動に発展しました。
宍戸錠さんの若い頃、バラエティ番組でも大活躍!
「元祖ドッキリカメラ」に出演
大橋巨泉さんのバラエティ「巨泉・前武ゲバゲバ90分!」に出演するなど、映画からテレビに活躍の場を移していました。
『くいしん坊!万才』のレポーターで活躍
『くいしん坊!万才』の4代目レポーターとして活躍。息子の宍戸開さんとも共演していました。
【追悼】宍戸錠
「カリキュラマシーン」 OP
作曲:宮川泰♪西六郷少年少女合唱団
コント出演者:宍戸錠・渡辺篤史・藤村俊二@retoro_mode pic.twitter.com/VYF6o20Lii— JUNK (@XMbHWFpbX) January 21, 2020
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宍戸錠さんの若い頃、まとめ
宍戸錠さんは石原裕次郎さん、小林旭さん、赤木圭一郎さんなど日活映画の大スターとともに、憎めない悪役で大人気でした。
自ら整形手術をしていたことを初めて知りました。自ら二枚目のスターから転身し成功を収めました。
娯楽が映画からテレビに移るとテレビで活躍。映画のこわもて役からバラエティでのコミカルな役を演じていました。
昭和の個性派俳優として稀有な人でしたね。