泉ピン子
さんは今や、芸能界のご意見番となりましたが、若い頃は、漫談でデビュー、歌手だったりしたこともありました。
そんな若い頃の泉ピン子さんを画像を交えてご紹介します
泉ピン子さんプロフィール
- 本名 武本 小夜(本名)
- 江口 小夜(旧姓)
- 生年月日 1947年9月11日
- 出生地 東京都中央区銀座
- 身長 154cm
- 血液型 B型
- 品川区立日野第二小学校
- 品川区立日野中学校
- 日本音楽高等学校中退
ばばがじじの卒アルみててじじが泉ピン子と同じクラスだったんだって笑笑
一番上の一番右、泉ピン子らしい笑 pic.twitter.com/04XQE0u0gK— m (@__mynoo) March 29, 2014
泉ピン子
さんは、日本音楽高等学校中退後の1966年18歳の時、ウクレレ漫談で有名な牧伸二さんに師事します。
当時の師弟関係はきびしいもので、泉ピン子さんは雨の時でも傘をさすことすら許されず、牧伸二さんの荷物持ちをさせられました。
地方キャバレーのドサ回りの際も、彼女には宿も用意されず、キャバレーの楽屋で寝泊まり、さらに給料は月8000円だったため、家賃の8000円を払うとお金が残らないため、深夜は皿洗いのバイトをしていたそうです。
牧伸二さんは「そんなことは当たり前」と突き放したが、泉ピン子さんは「師匠は何もしてくれない」と嘆いていました・・・
泉ピン子さんの若い頃、歌謡漫談家としてデビュー
そして三門 マリ子(みかど まりこ)の芸名で歌謡漫談家としてデビューします。
出典元:LINE BLOG
その後、1975年に日本テレビ『テレビ3面記事 ウィークエンダー』の番組リポーターを担当したのを機に泉ピン子と改名しました。
出典元:LINE BLOG
『ウィークエンダー』ではフリップを使ったレポーターをしましたが、下ネタ中心の下品な内容でした・・・新日本婦人の会が選ぶ「ワーストタレント1位」に選ばれたこともありました。
★6月「戦後猟奇犯罪史」放送★
戦後おきた陰惨な殺人事件より3つの事件をヒントに、犯罪者の心理と行動をオムニバス形式でショッキングに描破した異色作をTV初放送。レポーター役は泉ピン子!https://t.co/NeNPTg7Vuq pic.twitter.com/jMas204rPv— 映画・チャンネルNECO (@chneco) May 20, 2016
このころの泉ピン子さんの情報はあまりありませんね。意図的に削除されたものもあるようです。イメージ的に良くないのでしょうか?
1975年にTBSの演出家・鴨下信一に「美人でなく、知的でもなく、金もない“3ナイ女優”を探していた」とのことからドラマに誘われ、テレビドラマ『花吹雪はしご一家』に出演します。
屋台のラーメン屋で色恋沙汰を展開させる金一と一子の情景。演者は左とん平さんと泉ピン子さん。
画像:TBS『#花吹雪はしご一家』第十三回 pic.twitter.com/7w7EbzxqSU
— 渡る世間の片隅で (@watasumi_net) September 25, 2019
このドラマで、西城秀樹さん、左とん平さんと共演しています。
女優だけでなく歌手としても1977年に「哀恋蝶」が10.9万枚(オリコンチャート最高位37位)のヒットを記録しました。
あき竹城『年上かもめ』を聴いてしまうと、聴きたくないのにどうしても聴かざるを得なくなるのが泉ピン子『哀恋蝶』 https://t.co/DUbPKbcojT
— 石川誠壱 (@ishikawasei1) October 31, 2016
#タイムラインをあたかも昭和にする
①加藤茶さん
②加藤茶さんと交際していた(と噂されていた)小山ルミさん
③泉ピン子さん。レア画像ですw pic.twitter.com/UYUFUa3faV— 森永タミー (@tammy_morinaga) October 24, 2019
泉ピン子さんの若い頃、1978年には「男はつらいよ」に出演
失恋して寅さんに慰められる小島瞳を演じました。
泉ピン子さんの若い頃、1983年、NHK連続テレビ小説『おしん』の母親役で女優としてブレイク!
おしんのお母さんを演じた時、泉ピン子さんは36歳。難しい役を見事に演じ切り女優としてブレイクするきっかけになりました!
おしんのお母さんは
泉ピン子さんだったかと…#モミマ pic.twitter.com/cAQLRw2ntd— なごみ K (@miyuumamadesu1) August 25, 2019
脚本を書いた橋田壽賀子さんからも高く評価され、以降は橋田作品に数多く出演することになります。
これは、ほんと死ぬ…?
泉ピン子の女優魂#おしん #おしんチャレンジ pic.twitter.com/LSqL8WQCEO— blessing-in-disguise (@odafactory) June 1, 2019
1990年に『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)が放送開始。以後20年以上にわたりシリーズ化されています。
雪村いづみの思い出のワルツのあとは
泉ピン子の渡る世間は鬼ばかりで
#mrs897 pic.twitter.com/wMcPfrGt5l— ????????®️?ᗪα?έ??Ⓔ (@odateque) January 5, 2019
橋田壽賀子さんの長い台詞にも動じない安定した演技で、以後橋田ファミリーの旗頭的な存在となりました。
泉ピン子さんの若い頃、借金のトラブルも・・・
人気があがる一方で、散財が目立つようになりました・・・
「ブランドにはまってしまい、“全身シャネル”といわれるほどシャネルのバッグや靴を買いあさるようになって…。当時、ブランド品を買うために事務所に借金するのは当たり前で、貸すのを渋ると、“誰のおかげで事務所が食えてるんだ!” と怒りだしたそうです」(芸能関係者)
出入り禁止にまで宣告されたシャネルを筆頭に、エルメス、グッチ、ルィ・ヴィトンなどブランドものに目がなく、気に入ればすぐに買ってしまう。その殆どを、事務所に立て替えて貰っていたとのこと。 カードの毎月に支払いも青天丼で、一千万円近くにものぼる時もあったようです。
事務所とのトラブルに発展
泉ピン子さんは事務所に数百万円の工面を要求しましたが、事務所側がこれを拒否。
それと同時に肩代わりしていた公共料金の支払いをストップ。その結果、電気や電話が止められ、事務所との信頼関係がなくなり、事務所からの独立を宣言します。
事務所側は「ピン子の借金は3億5千万円」とテレビや雑誌に公表し、事務所側が立て替えた3億5000万円の返済を求めて東京地裁に提訴しました。
20回以上法廷が開かれたものの、どこまでがピン子のギャラでどこから借金なのか遅々として進まなかったとの事。
この訴訟は結果的には和解となって終わっています。
泉ピン子さんの若い頃、41歳の時に結婚
泉ピン子さんのご主人は、消化器内科医の武本憲重さんという一般人の方です。
二人が出ったのは、泉ピン子さんが、「自分は白血病ではないか?」と不安になり、かかった病院で出会ったそうです。
彼が病室に入ってきた瞬間、「この人と結婚する」と思ったそうです。
白血病は勘違いだったとのこと。
その後、夫の愛人、隠し子騒動もありましたが、夫婦生活は続いています。
泉ピン子さんさんの若い頃、まとめ
泉ピン子さんは最近では毒舌キャラのおばさんというイメージですが、若い頃は個性的で素敵な女優でした。橋田寿賀子さんの難しいドラマの常連だったのもうなずけますね。
最近はバラエティ番組でも見かけることが多くなりましたが、ドラマにもどんどん出演してほしいです。