夏木マリさんは、ドラマでの印象的なわき役や、昔ヒットした「絹の靴下」くらいの印象しかなかったのですが、
今回調べてみて、長かった下積み生活と、自分のやるべきことを継続しづつける努力で年々魅力的な女性になっていく様子を知ることができました。
若い頃からの活動を写真を交えてご紹介します!
夏木マリさんのプロフィール
- 出生名 :中島 淳子(旧芸名及び旧姓)
- 生年月日 :1952年5月2日
- 出生地 :東京都豊島区
- 豊島岡女子学園高
東京都豊島区でうまれた夏木マリさんは、小学校3年から埼玉県さいたま市大宮区で育ち、県内の小・中学校、豊島岡女子学園高校を卒業しました。
父親は商社マンで音楽評論家になりたかったような人でした。
夏木マリさんもその影響で、将来は音楽大学に入って、ピアノや歌の先生にでもなろうかと漠然と思っていたそうです。
音大受験の予備校みたいなところに通っていた頃、当時はやりのグループサウンズを聞くようになりました。
洋楽も聞くようになりジャニス・ジョップリンには衝撃を受けました。
夏木マリさんの若い頃、本名で歌手デビュー
1971年、19歳の時に本名の中島淳子名義で「小さな恋」にて歌手デビュー。
ジャニス・ジョプリンのような曲を歌いたかったが希望は受け入れられず、清純派アイドルとしてデビューしました。しかしあまり注目されず、キャバレー回りの日々が続く不遇の時代を過ごしました。
中島淳子「小さな恋(リトル・ラブ)」。夏木マリの本名でのデビューシングル。両面とも悪くはないのですが、71年の時点ではやや古臭さを感じる楽曲で、中島にも合っていなかったと思います。ついでに言えばジャケ写の中島の衣装のセンスもやばい。#歌謡曲珍盤 pic.twitter.com/b6oobNMPUy
— ルチ将軍 (@ruchishogun) February 16, 2017
1970年頃から奥村チヨさん、辺見マリさんといった歌手のセクシー歌謡路線が人気だったからでしょうか?夏木マリさんの『絹の靴下』が大ヒットしました
夏木マリさんの若い頃、「絹の靴下」が大ヒット!
1973年、21歳の時に夏木マリ名義で「絹の靴下」を発表し、再デビュー。
6月のデビューで「夏に決めよう」から由来した芸名だったため本人は嫌だったというが、妖艶な振り付けやフィンガー・アクションが盛り込まれた同曲は大ヒットしました。
♪アア抱いて獣の様に
裸の私に火をつけて~♪?
子供の頃、こんな曲を歌う夏木マリさんを観ながらもやもやしてた(笑)そんな人、多かったのでは?!?友人から貼って貰った貴重なPV。
絹の靴下/夏木マリ pic.twitter.com/2ne8JiJy5Z
— ヨン吉 (@yungkichi) February 19, 2017
5月2日、夏木マリさんのお誕生日ということで…
スタイリッシュなクールビューティー『Gメン’75』津川螢子警部補♪夏木さんが歌ったED「ウィング」最高でした ^_^ pic.twitter.com/vgPG0tY3kd
— 昭和太郎 (@RS3526) May 2, 2020
歌番組に出演するなど、人気歌手として活動していましたが、低色素性貧血という病気で3か月の入院を余儀なくされ、復帰した時には仕事が激減していました。
再びキャバレー回りの生活に逆戻りしてしまい・・・
それから8年間の下積み時代を過ごしました・・・
全国のキャバレーをめぐり、ショーの合間に歌を歌う生活だったそうで、まともに歌を聴く客はいなかったそうです・・・
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夏木マリさんの若い頃、「日劇ミュージックホール」出演
「日劇ミュージックホール」が有楽町の再開発で東京宝塚劇場の上に移転してきときのこけら落とし公演に出場します。
トップレスの女性ダンサーよるレビューの前で歌うことに戸惑いがありましたが、ステージのエネルギーに圧倒されて本気で取り組むことになりました。
劇場だから当たり前のことなのですが、お客さんにみつめられながら歌うのも新鮮で・・・キャバレーでは歌を真剣に聴いてくれるお客なんていなかったので。まさにカルチャーショックの連続。ジャズのスタンダード・ナンバーからブロンディの〈コール・ミー〉のような洋楽ヒットまでいろんな曲を勉強して、お姉さんたちにダンスの特訓を受けながら必死で歌いました。私のやる気スイッチがやっと入った感じ。
日劇ミュージックホールはとても客層が良く、後に映画《鬼龍院花子の生涯》で声をかけられた五社英雄監督。
劇団未来劇場を主宰する里吉しげみさんなどとの出会いがあり30代から舞台の世界に。
小劇団から始まり、新劇もやり、歌舞伎の演出も受け、日本を代表する演劇人たちと一緒に仕事をするようになっていきました。
1990年に単身ニューヨークへ行き、自分も何かを発信してみたいと思うようになっていきました。
夏木マリさんの若い頃、『印象派』で本格的に舞台に取り組む
そして1993年、企画から構成、演出、出演まで全てを手がける舞台表現『印象派』を発表。
「スタートはまったく評価されなくてね…。叩かれて叩かれて、とにかく苦しかったです。『こんなに苦労しなくても、普通にテレビに出ていればいいじゃない』なんて言われたことも…。そんななかで、自分がやりたいこと、できること、いらないことを整理したら“好きなこと”しか残らなかった。そのときにはじめて“自分らしさ”に気づくことができて、すごく気持ちがよかったんです」
出典元:GLITTY
現在も活動は継続されています
夏木マリさんの若い頃、斉藤ノヴさんとの事実婚を発表
2007年、パーカッショニストの斎藤ノヴさんと交際中であると発表し、これを「フランス婚」と表現し、籍にこだわらないことを明かしています。
2011年5月に斉藤ノヴさんと入籍していたことを発表しました。
夏木マリさんの若い頃、全国ライブツアーをスタート
舞台と合わせて音楽活動も継続。
豪華メンバーを集めてのPV。
中井戸麗一さんが作詞作曲のロックチューン。参加メンバーも超豪華です。
- ドラム:村上”PONTA”秀一
- ベース:後藤次利
- パーカッション:斉藤ノヴ
- ギター:高中正義
- ボーカル&ギター:仲井戸麗市
- キーボード:ミッキー吉野
夏木マリさんは私生活でもキャデラックに乗っているそうです!
「キャデラック」とのカップリングで発表された「アライアンス」は、女性の応援歌として人気になりました。
夏木マリさんの若い頃、まとめ
正直、夏木マリさんは、「絹の靴下」と最近少しドラマで見かけるな、といった程度の認識でしたが・・・こうして調べてみますと、年を重ねるごとに魅力を増してくることに引き込まれていきました。
2019年のMV「Co・ro・na」では大沢伸一さんの作曲で、コロナというのがなんとも暗示的ですね。