1950年代生まれ

辺見マリさんの若い頃、ハーフみたいじゃなくて本物のハーフだった!!

辺見えみりの母親、西郷輝彦さんの元妻としても有名な辺見マリさんですが、若い頃からオトナの美しさで当時の男性をトリコにしていました。

そんな辺見マリさんの美しさを画像で振り返りますよ!

辺見マリさんのプロフィール

  • 出生名:逸見 万里(へんみまり)
  • 誕生日:1950年10月5日
  • 出身地:京都府京都市
  • 京都市立錦林小学校
  • 平安女学院中等部
  • 平安女学院高等学校 卒業
  • 血液型:B型
  • 身長:160cm
  • 元夫:西郷輝彦
  • 長男:辺見鑑孝(へんみのりたか)ミュージシャン
  • 長女:辺見えみり(タレント)

辺見マリさんの父親は軍人(陸軍将校)でスペイン系アメリカ人で日本人の母親・美保子との間に神奈川県逗子市で生まれました・・・

しかし、辺見マリさんが生後2ヶ月の時、父親がケンカで大ケガをし、その治療のためにアメリカに帰国したことで、両親はそのまま離婚。

その後、お母さんが故郷の京都に連れて帰り、女手ひとつで育てられました。

そして、辺見マリさんが3歳の時に、お母さんが、京都のバーで流しの歌手をしていた、逸見覃(へんみ ひろし)さんと知り合い、3人で一緒に暮らすようになりました。

辺見マリさんは育ての父親、逸見覃(へんみ ひろし)さんを実の父親だと信じて育ちました。

本当のことを知ったのは1967年、すでに歌手になるために上京していたときでした。

それまで自分は純粋な日本人だとばかり思っていた辺見マリさんにとって母の話は衝撃的でしたが、

愛情をもって実の子のように育ててくれた父が自分にとって本当の父親だと心に思いました。

逸見覃さんと幼い頃の辺見さん逸見覃さんと幼い頃の辺見さん

 

幼稚園に入園した4歳の頃よりバレエを始め、京都でも有名なバレエの先生である木村陽子・谷桃子両氏による指導の下、年に5~6回は舞台に立ち、錦林小学校3年生の頃には一流のバレリーナになることを夢見るようになりました。

アイススケートに半年ほど凝っていた平安女学院中等部2年生の時にカンツォーネとジャズに出会い虜(とりこ)に。

中学3年生の時に大好きだった布施明さんがやってくるということで京都会館へ行きました

京都会館はバレエの舞台で何度も出入りしていたために顔パスで入場、ワタナベプロの人に紹介されて芸能界入りを考えるようになりました

まだ15歳ということで両親も悩みましたが渋々芸能界入りを承諾、デビューに向けてレッスンをはじめました

辺見マリさん、歌手デビューに向けて上京

1967年、高等部2年生になると両親の賛成で休学し、軽自動車の免許を取ったばかりの辺見マリさんは愛車のホンダN360と共に上京

作曲家浜口庫之助の下で厳しいレッスンを積みながら、渡辺プロに所属

すぐには歌手デビューをさせてもらえず、バックダンサーやモデルなど裏方の仕事をこなしていました。

他のダンサーやモデルに比べて若かった辺見マリさんはいじめられたこともあり下積み生活は苦しかったそうです。








辺見マリさん、19歳で歌手デビュー

1969年11月に「ダニエル・モナムール」でデビュー。

ダニエル・モナムール - 辺見マリダニエル・モナムール – 辺見マリ

作詞:安井かずみさん、作曲:村井邦彦さん、編曲:川口真さん。
辺見マリさんのエキゾチックな存在を遺憾なく発揮したフランス語入り歌詞で、大人の歌謡曲といった曲です。

オリコン最高位36位 (1970年)まで上昇しました。

同年、奥村チヨさんの『恋の奴隷』が大ヒット、歌謡曲にもセクシー路線が人気だったようです。

その影響でしょうか、辺見マリさんもセカンドシングルからセクシー歌謡に挑戦します

辺見マリさん、セクシー歌謡の歌手として大ブレイク!

1970年、20歳の時に発売したセカンドシングル『経験』「やめてぇ」と溜息混じりの歌い方が話題になり、大ヒット。

辺見マリ 経験

1970年4月発売 オリコン最高位2位まで上昇しました!

『経験』の大ヒットでデビュー曲の「ダニエル・モナムール」もセクシー路線の曲調に再録音されました

つづく1970年8月発売の「私生活」はオリコン最高位6位

大阪で万国博覧会が開催されている中で、従来の演歌や歌謡曲と比べてとても新鮮だったようです。

 

『私生活』で第21回NHK紅白歌合戦に初出場しました。

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西郷輝彦さんと結婚、芸能界を電撃引退に!!

立て続けにヒット曲を出していましたが、人気絶頂時の1972年に同じく人気歌手の西郷輝彦さんと結婚し、芸能界を引退してしまいました。

当時は女性歌手の恋愛はご法度でしたし、大人気歌手の西郷輝彦さんとの結婚ということで引退せざるを得なかったのでしょうね。

その後1973年には夏木マリさんが『絹の靴下』でセクシー歌謡をヒットさせていますので、まだまだ活躍できる年齢での引退でしたね

夏木マリ
夏木マリさんの若い頃の美形写真を発見!夏木マリさんは、ドラマでの印象的なわき役や、昔ヒットした「絹の靴下」くらいの印象しかなかったのですが、 今回調べてみて、長かった下...

辺見マリさんの若い頃、まとめ

辺見マリさんのデビューからセクシー歌謡で大ヒット歌手となるまでを調べてみました。

歌手を志してからデビューまでの下積み生活が長かったようですが、本人の努力だけでなくデビューのタイミングと楽曲にもめぐまれていたことが良かったようですね。

今聞いても古さを感じさせない良さがあります。

西郷輝彦さんと電撃結婚し、その後離婚してしまうなどトラブルもありましたが、若さと美しさを兼ね備えた歌手でした。