「どうせいつかは、みんな死にますからね。どんなふうにこの世とさよならするかは、自分の意思で決めたいと思っています」
秋野暢子さんは尊厳死を望んでいます・・・最後まで元気でいなければならないと努力されています。
そんな生き方について調べてみました。
秋野暢子さんのプロフィール
- 本名 秋野 暢子
- 生年月日 1957年1月18日(63歳)
- 出生地 大阪府
- 身長 170 cm
- 血液型 A型
- 四天王寺高等学校卒業
大阪・ミナミの呉服屋の末娘として生まれました。小学校の学芸会をきっかけに演劇の道に進み、中学・高校と演劇部で活躍していました。
出典元:週刊女性PRIME
1974年にNHK銀河テレビ小説『おおさか・三月・三年』にウェイトレス役で出演しデビュー。
翌1975年のNHK連続テレビ小説『おはようさん』のヒロイン・殿村鮎子役に抜擢されました。
出典元:週刊女性PRIME
1976年のTBS『赤い運命』では山口百恵さん、宇津井健さんと共演しました。
ドラマ赤い運命の宇津井健、秋野暢子、#山口百恵 pic.twitter.com/lF8U2xX8yW
— 昭和の芸能人 有名人 (@shouwanogeinou) December 17, 2019
現在は大阪を中心に活躍しており、コメンテーターを務めたりしています。
秋野暢子さん、1983年に結婚
1983年にTBSテレビのプロデューサーだった田代冬彦さんと結婚。26歳の時でした。
1989年、平成元年に第1子を妊娠したものの流産してしまいました。
その後、2回の流産を経験しながら11年、不妊治療を続けました・・・
35才の時、子宮外妊娠で左の卵管を切除。これ以上は肉体的にも厳しいと不妊治療を諦めました。
翌年が結婚10年目ということで、これからは夫婦ふたりの人生を楽しもうと決意・・・その矢先に、自然妊娠。
無事女の子を出産しました!
出典元:週刊女性PRIME
秋野暢子さん、2001年に離婚
一女をもうけたものの、結婚19年目となる2001年に離婚します。
その後はシングルマザーとして長女(25)を育ててきました。
離婚後、5歳年下の実業家男性と事実婚同然の交際を続けていたようですが、2014年には破局していたようです。
その後、再婚のウワサはなく、本人も以下のように話しています
「私、男の人はもういいんです。明るく元気に残りの人生を楽しめれば十分です。再婚は、もうないかな……。私はこれまでの人生、人様にたくさんお世話になったので、少しでも社会に還元したい。そう思って始めた被災地の復興支援やボランティア活動が、いまの私の生きがいになっています」
出典元:女性自身
秋野暢子さん、『日本尊厳死協会』に入会
「60歳を迎えた2年前、『日本尊厳死協会』に入会したんです。うちは母1人娘1人の家庭なので、娘に迷惑をかけるわけにはいきませんから」
出典元:女性自身
秋野暢子さんが入会を決めたのは、24年前に亡くなった母もまた60歳で尊厳死協会に入ったからでした。
『日本尊厳死協会』に入会のきっかけは母の死去
秋野暢子さんの母が還暦を迎えたとき、突然、『日本尊厳死協会』の会員証を見せられました。
『私が死ぬときは、静かに死なせてね。延命治療は嫌。お兄ちゃんにも言ってあるから、だからあんたもお願いね』
出典元:女性自身
と頼まれたそうです。しかしそのころは母もまだ60歳。母の死なんて想像すらできなかったとのこと。
しかし18年後、実際に母の死を目の前にして、秋野暢子さんの価値観は大きく変わることに・・・
母が危篤だと聞いて、海外にいた秋野暢子さんは慌てて帰国。病院にかけつけました。
しかし、すでに母の意識はありませんでした・・・
そんなとき、医師から『一刻も早く延命措置を取らなければ、後1時間で亡くなってしまう』と宣告を受けました。
どうしていいのかわからず・・・しかし最後には“やっぱり母が望んだとおり安らかに眠らせてあげたい”という気持ちが勝り、先生にそのように伝えました・・・
それから約30分で、本当に母は亡くなりました・・・
秋野暢子さん、自らも『日本尊厳死協会』に入会
秋野暢子さんは、その後も自分の選択が正しかったのか悩み続けましたが、60歳の誕生日を迎えたときに自らの入会を決意。
「娘から“還暦おめでとう”とメールをもらったときに、やっと母の気持ちが分かりました。私や兄には絶対に迷惑をかけたくない。そんな母心だったのでしょう」
出典元:女性自身
日本尊厳死協会では、“平穏死”“自然死”を望む人が、自分の意思を元気なうちに記しておくことで、“リビングウイル”という書状を発行している。
いわば、いのちの遺言状だ。小泉純一郎元総理や脚本家・倉本聰さんも会員だといいます。
秋野暢子さんの終活の取り組み
秋野暢子さんは、「日本尊厳死協会」への加入以外にも、さまざまな終活に取り組んでいるといいます。
「定期的に健康診断に行くようになりました。あと、エンディングノートもつけています。娘に残す動産・不動産の書類や印鑑のしまい場所。葬儀の仕方や遺品の分配先もひとつずつ丁寧に書いています」
出典元:女性自身
秋野暢子さん、断捨離で身軽に
ブランド品や洋服は必要なもの以外、処分を進めています。家具も知人に引き取ってもらって身軽になっているようです。
「昔に買ったブランド品や洋服はかなり処分しました。娘はフランスに住んでいて、家には私1人なので、家具も知人に引き取ってもらったりしています。でも、ワンちゃん&ねこちゃんグッズは捨てられないで増える一方なんですよね」
秋野暢子さん、体調管理もしっかり
毎日5キロ走り、ヨガに、筋トレ。毎朝、だいたい1時間半から2時間くらい運動をしているそうです。
食事にも気をつけていて、
朝食は野菜中心に、650キロカロリーくらいとりますが、晩ごはんは少なめ。
発酵食品や焼きニンニクは毎日食べているとのこと。
秋野暢子さん、安らかな尊厳死を
「病気や事故で自分がまったく意識がない状態になったとき、人工呼吸器をつけたり胃ろうをしたり、いろんな形で延命することはできます」
出典元:女性自身
胃ろうとは、胃に穴をあけ、栄養を直接入れる医療措置。口からの食事が難しくなった人が行います。
「でも、私は管につながれ、自分で栄養をとれなくなった状態で生きているのは嫌。だから、“延命治療はしないで”という意思表示をしました」
出典元:女性自身
現在の医療では、回復の見込みのない患者を生かし続けることも可能になっています。
「私の知り合いはお父様が危篤になり、延命をするとどういうことになるか想像する前に、とにかくあわてて延命して10年です。その間に認知症を発症し、会いに行ってもわからない状態だと聞きます」
出典元:女性自身
もちろん、考え方は人それぞれだと秋野さん。
「ただ、本人が意思表示できない状態であれば、それを決めるのは家族。もし家族間で意見が合わないと、非常に悩みます。“どんな形でも生きていてほしい”と願う人もいれば、“それはかわいそうだからやめてほしい”と思う人も。だから、きちんと意思表示しておいたほうがいいと私は思うんです」
出典元:女性自身
秋野暢子さん、娘への想い
秋野暢子さんには一般企業で働く25歳のひとり娘がいます。
もし、私が延命をして10年も寝たきりになってしまったら、彼女の人生を邪魔してしまう。それは絶対にしたくないとの想いから
「女性の平均寿命は87歳。でも、自分のことが自分でできる“健康寿命”は80歳くらい。あともう18年しかないんですよね。そんなことをだんだん考えるようになり、その一環として昨年、エンディングノートも書きました。娘には、私に何かあったときにはエンディングノートを見るよう伝えてあります」
出典元:女性自身
秋野暢子さん、死去は尊厳死を希望のまとめ
まだまだ老いを感じさせることなく活動されている秋野暢子さんですが、しっかりと死について考え、早くから準備をされていることがよくわかりました。しかし、ただ漫然と死を迎えるだけではなく、健康に生きていくための努力も欠かしていませんね。見習いたいと思います。