石田純一
さんがコロナウイルスで闘病中となってしまいました・・・一刻も早い回復をお祈りしています。
60代になっても若々しく、東尾理子さんとのうらやましい結婚など大活躍していますが、若い頃はトレンディ俳優として一世を風靡していました。全盛時代の画像を発掘します。
石田純一さんのプロフィール
- 本名 :石田 太郎(いしだ たろう)
- 別名義: 石田 純 (デビュー時の芸名)
- 生年月日:1954年1月14日
- 出生地 :東京都目黒区
- 身長 :177cm
- 血液型 :A型
- 東京都立青山高等学校
- 早稲田大学商学部中退
石田純一さんは、1954年1月14日、NHKアナウンサー・石田武の長男として東京都目黒区で出生しました。
出典元:通販生活
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祖父は中外商業新報(現・日本経済新聞)記者で、政治部長や参事などを努めた石田武太郎。
優秀な家族ですね。石田純一さんも早稲田大学に進学しています。
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石田純一さんの若い頃、学生結婚で長男誕生
石田純一
さんの最初の妻となった女性は、作家で翻訳家・星川淳の妹の星川まりさん(いしだ壱成の実母)。
二人は1970年代に知り合って結婚。1974年、石田純一さんが20歳の頃に長男・壱成が誕生しました。
役者をやりたいという純一さんに対して父・武は「子どものために安定した仕事を見つけろ」と怒りを爆発させたそうです。
大学在学中、演出家となることを考えた石田純一さんは演劇を学ぶためにアメリカに渡ります。
東洋哲学に傾倒しており、ヒッピー的な志向であった妻、星川まりさんとは、このアメリカ滞在中に離婚。
帰国後の1978年には大学を中退、「演劇集団 円」の演劇研究所研究生となりました。
学生時代に、結婚、長男誕生、離婚を経験して、大学中退という・・・すでにここまででおなかいっぱいですが続けましょう
石田純一さんの若い頃、俳優デビューそしてスターダムへ
「演劇集団 円」での下積み生活を経て、1979年にNHKドラマ『あめりか物語』(日系三世のタイ人の店員役)でデビューします。
役者としてスタートしたものの人気が出るには至らず・・・
1980年、父・武が、仕事中突然脳卒中で倒れ、左半身に麻痺が残り、NHKを退職しました。
1984年の昼ドラ「夢追い旅行」で準主役で出演し役者として実績を認められていきました
「ファミリーヒストリー」に、昔のドラマ「夢追い旅行」の映像が。石田純一の相手役に波乃久里子。84年放送ですって。(思わず撮影…) pic.twitter.com/CBtO1mnD55
— 高橋彩子 (@pluiedete) January 16, 2015
1985年から1989年にかけて放送されたクイズ番組『TVプレイバック』にレギュラー解答者に抜擢され、知名度が上がっていきました。
石田純一さんの若い頃、トレンディドラマでブレイク!
1988年にドラマ『抱きしめたい!』に出演したことから、数多くの「トレンディドラマ」に出演することに!
ぶかぶかのスーツに時代を感じますね
元々、『抱きしめたい!』の二宮修治役は陣内孝則さんが演じる予定だったが、陣内孝則さんは同作と全く同時期に放送されたTBSのドラマ『結婚してシマッタ!』に主演として起用されたためダブルブッキングが起き、陣内さんは「役が大きい方」を選んで『抱きしめたい!』を辞退したためにこの役が石田純一さんに回って来ました。
石田純一さんは引退を考えていた・・・
それまで俳優として芽が出なかったことから、この作品に出演後は芸能界を引退し所属事務所のマネジャーに転身する予定だったが、このドラマ放映開始後から人気が急上昇したことにより俳優を続けていくことになりました。
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女性関係・「不倫は文化」発言騒動
1988年に女優の松原千明さんと再婚、1990年7月に長女・すみれが誕生します。
しかし1991年10月、それまで石田が公表していなかった最初の妻、星川まりとの間に儲けた長男・壱成の存在が明らかになり、「隠し子」として『女性セブン』にスクープされる。また、石田もその事実を認めた声明を出したため大きく報じられた。壱成は翌1992年に、「石田純一の息子・いしだ壱成」として芸能界デビューし、親子での共演なども見られる事になりました。
また、石田純一さんはファッションモデル・長谷川理恵さんとの8年余りに及ぶ交際でも知られました。
1996年10月、『フォーカス』のスクープを発端に長谷川さんとの不倫についてマスコミから追及された石田純一さんは「文化や芸術といったものが不倫という恋愛から生まれることもある」と反論。
芸能レポーターの取材に答える石田純一さんの姿は、『不倫は文化』というフレーズと共に繰り返し報じられてしまい、じっさいにはそのような発言はしていないにも関わらず、バッシングを受けることになりました。
女性関係のトラブルによって、圧倒的多数だった女性ファンが減少しました。
しかし、持ち前の明るいキャラクターと頭のよさで、男性ファンが増加。今では男性に支持されているようです。
石田純一さんの若い頃、まとめ
1980年代後半から1990年代前半はバブル全盛時代からバブル崩壊にいたる時期でしたが、まだまだ世間には勢いがあり夢を見ることができました。
そんな時代に二枚目で憎めない性格の石田純一さんはドラマで大活躍していました。