現在も、テレビで大活躍の上沼恵美子さん。若い頃は高校生漫才師として大人気でした。
可愛いルックスはアイドル的な人気もありました。
若い頃の画像を探して見ました。
上沼恵美子さんのプロフィール
- 本名:上沼 恵美子
- 生年月日:1955年4月13日
- 出身地:兵庫県三原郡福良町(現・南あわじ市)
- 南淡町立福良中学校
- 帝国女子高等学校大和田校中退
- 師匠:海原お浜・小浜
- 海原千里・万里(1971年 – 1977年)
- 相方:海原万里(実姉、現・芦川百々子)
上沼恵美子さんは、兵庫県淡路島で生まれました
上沼恵美子さんは、兵庫県の淡路島にある三原郡福良町(現・南あわじ市)で3人兄妹の末っ子(6歳上の姉と2歳上兄がいる)として生まれました。
銀行員だった父親は演芸好きだったことから、幼少時から姉妹揃って演芸や歌を見たり聞いたりして育ちました。
祖母は浄瑠璃の師匠、太棹三味線の名手でした。
家系も芸能の血筋のようですね。
10歳の頃から、父親のすすめでのど自慢大会に出場
バツグンの歌唱力で「のど自慢あらし」と呼ばれました
ライバルは天童よしみさんでした。
上沼恵美子さんは歌手志望でしたが、姉の芦川百々子さんとともに、海原お浜・小浜に弟子入り。
海原お浜・小浜は戦前より活躍していた女流漫才の大御所でした。
姉との漫才コンビでデビューするはずだった相方がデビュー前に失踪。
急遽、姉とコンビを組むことに・・・
まだ、中学を卒業したばかりの16歳で芸能界にデビューしました。
高校生漫才師の二人はデビュー年から大人気となり、上方お笑い大賞銀賞を受賞。
高校生ながら巧みな話術で一躍スターになり、当時人気アイドルで白雪姫と称されていた天地真理に倣い、
「漫才界の白雪姫」と呼ばれました。
「海原千里・万里」が富山県で行われた「北島三郎ショー」に呼ばれたとき、
二人は北島さんのショーの前に漫才をやったが漫才だけでは持ち時間が埋まらず歌も歌ったそうです。
するとそれをモニターで聴いていた北島三郎さんが上沼恵美子さんを楽屋に呼び、当時まだ高校生だったため「東京の俺の家から学校に通って歌手にならないか」とスカウト。
しかしまだ漫才師としてデビューしたばかりの上沼さんは丁寧にお断りしたそうです。
昔、上沼恵美子の若い頃の漫才見てめっちゃ笑った気がして見返したらやっぱ面白い!(海原千里・万里ってコンビだったみたい)
しかも若い頃の上沼恵美子、かわいいし、歌上手い!
女芸人さんって、歌上手い人多いよね?? pic.twitter.com/gUK5BNmbyR— 四元壯(ヨツモトショウ) (@yotsumotosanja) December 9, 2018
大阪ラプソディー 海原千里・万里https://t.co/o9DuldhMUc pic.twitter.com/PZyw3gVuhJ
— A-Fujimoto (@dfv1nj9qfBdImTT) September 3, 2020
上沼恵美子さんの若い頃、「大阪ラプソディー」が大ヒット
1973年にはNHK漫才コンテスト優秀敢闘賞を受賞し、
1975年には作詞:山上路夫 作曲:猪俣公章の「大阪ラプソディー」が40万枚を売り上げて大ヒット。
オリコンシングルチャートでは最高24位でした。
この頃はまだ、上方のお笑いが全国的に認知されていなかった時代で、関西と関東では人気に大きな温度差があったのではないでしょうか?
当時は漫画にもなっていました。アイドル的な人気がありました。
上沼恵美子さん、結婚を期にコンビ解消、引退へ
1975年、20歳の時に出演した関西テレビ『日曜ドキドキパンチ』で、関西テレビディレクターの上沼真平と出会います。
1977年5月22日に二人は周囲の反対を押し切って結婚、姉とのコンビを解消し、芸能界を引退しました。
二人は大阪府箕面市の18坪の家に真平と姑と3人で暮らすことになりました。
姉の海原万里さんもコメディアンの夢大作と同年6月8日に結婚されています。
この結婚により1978年に長男、1983年に次男が誕生しています。
芸能界復帰のきっかけは、「ダウンタウン」の漫才
芸能界を引退し、子育てをしていた上沼恵美子さんに仕事のオファーが入りました。
サンテレビから電話があって、『元旦に放送される漫才の司会をやってくれないか』と。
一度は、「専業主婦してますから」と断りましたが、
『ダウンタウンっていうのも出るんです』って(言われて)、『行くー!』って言ったんです。
その後の、司会業につながっていくきっかけは、「ダウンタウン」だったんですね。
上沼恵美子さんの若い頃、紅白歌合戦の司会に!
NHKの「バラエティー生活笑百科」に出演。
NHKの番組でありながら、お笑いのセンスで人気者になりました。
全国的な人気を得て、紅白歌合戦の司会に抜擢。
しかし、大変苦労したようです。
「そりゃあ、いびられた、いびられた。東京は完全アウェイだったので、皆さんが私を敵にしてくださった」
と告白。
司会者と出場者の面接でも
「横を向いて目を会わせてくれない方が4、5人はいた」
とし、
「その人たちはいまだに大っキライです」
と話しています。
1994年、1995年と2年連続で紅白歌合戦の紅組の司会を務めました。
白組司会者は古舘伊知郎さん。
紅白歌合戦のなかでも、屈指の名コンビといわれています。
上沼恵美子さんの若い頃、まとめ
現在もテレビで大活躍の、上沼恵美子さんの若い頃を振返りました。
デビュー当時は、女性漫才師は和服で舞台に上がる時代でしたが、モダンな洋服でテンポよく話す、海原千里・万里は大人気でした。
今聞いても新鮮な漫才ですね。
結婚を期に解散してしまったのが惜しまれます。
しかし、その後の上沼恵美子さんはずっと第一線で活躍されています。さすがですね。