ハワイアン・キルトの作家としての活動で有名なキャシー中島さんは、若い頃はモデル・タレントとして活躍されていたようです。
勝野洋さんと結婚されてからは家庭に入られテレビで見かけることは少なくなっていましたが、改めて経歴を調べてみました
キャシー中島さんプロフィール
- 本名 勝野 八千代(かつの やちよ)
- 生年月日 1952年2月6日
- 出身地 ハワイ・マウイ島
- 父親 アイルランド系アメリカ人
- 母親 日本人
- 夫 勝野洋
米国人の父、日本人の母の間に生まれたが、5歳の時に父母が離婚。
母1人、子1人で、独り遊びの時間が長かったといいます。
独り遊びで待っているほか、なかったんですね。その頃から小さなものを切って張って集めたり、針で縫ったりしていました。父母が離婚した後には、横浜の石川町で育ち、10歳頃まで住んでいたのですが、近所にシャツを縫う内職をやっているおうちがあり、材木屋さんがあり、クリーニング屋さんがあり、といった感じで。シャツの切れ端をもらったり、木目のきれいな材木の切れ端をもらったり。だからそういう遊びができるものが、何となく家にあったんですね。独りで遊んでいても、みんなに声をかけられて、地域で育った感じでした。その当時はどこもそうだったんですよね。だから寂しくはありませんでした。
出典元:産経ニュース
中学生のとき、反抗期に・・・
キャシー中島さんの少女時代、不良の世界に・・・
ハーフであることで目立ってしまい、周囲の注目度から、何をしても怒られてしまう・・・そんな環境から、不良の世界に・・・
あそぶのは横浜の繁華街、当時の横浜は流行の最先端の場所で、夜の11時12時まで踊っていました。
本牧の「ゴールデンカップ」や「イタリアンガーデン」に行って、米兵たちと踊っていたそうです。
キャシー中島さん、モデルの道に・・・
そんな時、スタイリストの堀切ミロさんにスカウトされモデルの道に・・・
当時苦しかった家計を助けたいという思いもありました・・・
3か月で20キロの減量をして、モデルの仕事をスタート
出典元:産経ニュース
1969年、レナウンのCMでモデルとしてデビューし、ボーカルグループ「カサノバ 7」に参加しました。
1972年、10月に開始したテレビ番組『ぎんざNOW!』でアシスタントを務め、司会のせんだみつおと共に人気を得ました。
出典元:産経ニュース
エメロンシャンプーのCMに出演し、撮影のためにイタリア、ポルトガル、カナダ、ニューヨーク、バハマ・・・などの国でCM撮影をしています。
出典元:産経ニュース
キャシー中島さん勝野洋さんと再婚!えっ再婚?
1979年,俳優の勝野洋と再婚しました。
そのときすでに、キャシー中島さんはモデル仲間と一度結婚、短期間での離婚をしていました。
勝野洋とは、テレビで見かけて一目ぼれ・・・猛アタックの末の結婚だったようです。
出典元:産経ニュース
出典元:産経ニュース
夫で俳優の勝野洋との間に一男二女
をもうけました。
キャシー中島さん、長女を肺がんで亡くす・・・
長女の勝野七奈美さんは歌手・モデル・ジュエリーデザイナーをつとめていましたが、2009年7月に肺がんのため29歳の若さでな亡くなってしまいました。
次女の勝野雅奈恵さんは女優とフラダンサーで、2015年に23歳のスイス人男性と結婚して翌年11月に女児が誕生しています。
長男の勝野洋輔は俳優・手芸家・
親子で教室を開きハワイアンキルトの作成・指導をおこなっています。
2016年には、キャシー中島さん自身が、顔に皮膚がんを患いました。
先生が傷が少ないように取ると、また同じところにできる可能性があるというので、グサッと深く取ってもらいました。傷は少し残りましたが、転移するようながんではなかったので。何より患部に注射したのが、死ぬほど痛かったんです(苦笑)。当初は3センチぐらいの大きな傷だったんですが、目立たないようになりました。
出典元:産経ニュース
キャシー中島の若い頃、まとめ
ハーフとして生まれ、母子家庭という境遇でしたが、努力を重ねてモデル・タレントとして人気が出て勝野洋さんと結婚、しかし子供の死、自らのがん治療などさまざま苦難も乗り越えて現在も元気に活躍しておられます。
今は、モデル体型ではありませんが・・・またテレビで見てみたいです!