映画「仁義なき戦い」シリーズなどで知られる俳優の梅宮辰夫さんが2019年12月12日午前7時40分、神奈川県内の病院で亡くなりました・・・。
映画テレビで昭和を代表する役者でした。また私生活や趣味で世間の話題にもなりました。
梅宮辰夫さんの死因、がんとの闘い
梅宮辰夫さんの死因は、慢性腎不全とのことですが、長くがんの闘病生活を送っていました。そんな病気との闘いを調べてみました。
梅宮辰夫さんの死因、1974年睾丸がんの手術から肺がんに・・・
1972年(昭和47年)、梅宮辰夫さんが経営する事務所「梅宮企画」が倒産。
1973年(昭和48年)からは『仁義なき戦い』での存在のある演技で当たり役となります。
梅宮辰夫さんはクラウディアさんとの結婚、アンナさんが生まれたあとも銀座に通い遊びも盛んでした・・・そんな時にがんが発見されました
梅宮辰夫さんは1974年(昭和49年)には睾丸がんの診断を受けました。
当時、プレイボーイで売っていた梅宮辰夫さんはがんを公表することなく隠し、町医者で睾丸を摘出する手術を受けました。
その時の手術があまりうまくいかなかったようで、がんは手術で摘出できたものの、2か月後には転移が見つかり肺にまで転移していました。
医者からは
「前がん状態だから、きちんと治療すれば大丈夫」
と言われていました。
しかし親には「ひょっとしたら2カ月くらいの命かもしれない」と告知されたそうです。
治療は放射線や抗がん剤でおこなわれました。
しかし6~7カ月経っても影が消えない。やっと10カ月目くらいで奇跡的に回復しました。
梅宮辰夫さんは化学療法を受けた際、副作用の脱毛が全く起こらず、主治医が驚いていたといいます。
医者からは
「再発ということもありますから、2年は様子を見ましょう」
と言われました。
この病気の後、夜遊びを止め、酒を減らし、まっすぐ家に帰るようになりました。
「爆笑問題」の田中裕二さんが2000年に同じ部位の病気になり睾丸を摘出し、いわゆる「片タマ」状態になった時
番組で共演した梅宮さんが、田中裕二さんをスタジオの隅に呼び、
「これ、誰にも言ってないんだけど、一緒なんだよ。俺も玉一つだよ。(それでも)大丈夫だから。俺、ピンピンしてるだろ」
と励ましました。当時、梅宮さんは病気の事実を隠していたため、本当にこっそりとエールを送ったようです。
これには田中裕二さんも「どれだけ励まされたか」と振り返っています。
梅宮辰夫さんの死因、2012年初期の胃がんに・・・
2012年には初期の胃がんが見つかり、手術して摘出しています。
梅宮辰夫さんの死因、2016年、十二指腸乳頭部がんに・・・
2016年6月には十二指腸乳頭部がんが見つかり、7月には摘出手術をおこないました。
十二指腸乳頭部がんは、十二指腸と胆管や 膵管 の合流部分のがんで、進行していると大がかりな手術になるとのこと。
十二指腸乳頭部がんの手術では12時間もかかった大手術だったそうです。
再びがんが再発しないために梅宮辰夫さんは、忙しい仕事の合間に、3か月から半年おきに内視鏡でポリープを取っていたようです。
2018年9月には、前立腺がんの手術
前立腺がんは、進行が遅いことが多いため、手術せずに放射線、ホルモン療法などの保存療法を選択し、経過を監視することもありますが、梅宮辰夫さんは手術したようです。
2019年1月に尿管がんの手術を受ける
度重なる手術ですが、「年齢を考えれば、どこにがんが発症しても不思議ではない」状態だったようです。
梅宮辰夫さんはの死因、がんは取り除いたが・・・慢性腎不全で帰らぬ人に・・・
その後も慢性腎不全で週に数回、人工透析を受けてきましたが、2019年12月12日の午前7時40分に、慢性腎不全のため神奈川県内の病院で亡くなりました。81歳でした。
直接の死因は慢性腎不全ですが、長年のがんとの闘いが原因だったのだと思います。
戒名は海釣りが好きだった梅宮辰夫らしく『浄海院和譽辰照居士』となりました。
梅宮辰夫さんの死因、まとめ
テレビやドラマでの明るい姿、釣りや料理の多趣味で豪快な人柄からは考えられませんでしたが、長年、がんと闘ってこられた梅宮辰夫さん。昭和を代表するスターをまた一人なくしてしまいました・・・