日本を代表する女優の十朱幸代さんですが、恋多き女としても知られているようです。
西城秀樹さんとは結婚まじかだったそうです。
ふたりはどんな関係だったのでしょうか?
そしてなぜうまくいかなかったのでしょうか?調べてみました。
十朱幸代さんプロフィール
- 名前:十朱幸代(とあけ ゆきよ)
- 本名:小倉幸子(おぐら ゆきこ)
- 生年月日:1942年11月23日(77歳)
- 出身地:東京都日本橋
- 身長:163cm
- 体重 50kg
- 血液型:O型
- 父は俳優の十朱久雄
- 結婚歴:なし。独身。過去に事実婚経験あり
父親は有名俳優の十朱久雄
十朱幸代さんの父親の十朱久雄さんは、文学座に所属する俳優でした。
十朱久雄さんは東京日本橋で江戸時代から続く貿易会社に生まれましたが、学生時代から演劇に熱中、家業を継ぐ気はなかったようです。
あまりに演劇に熱中するので、奈良県の工場にいかされました。戦前から戦中の時代のため、疎開の意味もあったようです。
すでに結婚していた十朱久雄さんは、十朱幸代さんが生まれるとき、どうしても東京で生まれてほしいということで、東京の病院で十朱幸代さんを出産。
どうしても「江戸っ子」にこだわりたかったようです・・・
父親の姿を見て育ったためか、子供のころから女優になりたいと思っていました。
「曾祖父が初代三遊亭遊三で父がコメディアンの十朱久雄、そんな血を引いている私は当然のように落語の猛ファンです。寄席の雰囲気にひたっちゃうと何もかも忘れて爽快な気分になれるの。出来れば毎日寄席に通いたいわ」と語る若き日の十朱幸代さん。
本日11月23日は十朱幸代さんのお誕生日。#誕生日 pic.twitter.com/YUx74oWWlN
— 墨東キネマ (@bokutoukinema) November 22, 2019
スタジオ見学からデビューチャンスが!
父について映画の撮影所にいくのが大好きだった十朱幸代さんは、NHKのプロデューサーに声をかけられ、カメラテストを受けることに・・・
「バス通り裏」のオーディションに見事合格します。
十朱幸代さん、NHKの連続ドラマ「バス通り裏」でデビュー
「バス通り裏」は当初3か月の予定が大人気となり、5年間続く番組になりました。
この番組では、岩下志麻さんとも共演しています。
岩下志麻さんの若い頃については別の記事でまとめました。よろしければご覧ください。
昭和38年 明星2月号『はじめまして 似てるでショー』より、梓みちよさんと十朱幸代さん。
クリクリした目もとも八重歯もみんなそっくり「ヤーダ 自分がもうひとりいるみたい」 pic.twitter.com/CAi5t1q4Jd— 島倉千代菊 (@wataridori333) August 31, 2019
恋多き女、十朱幸代さんの西城秀樹さんに出会うまで
ドラマで共演した小坂一也さんとは事実婚の関係になり、17歳のときから15年間、事実上の“夫婦生活”を送りました。
当時は結婚すれば仕事を辞めるということが当たり前の時代です。女優業を続けたかった十朱幸代さんは入籍しませんでした。
小坂一也さんと別れた後、奔放な恋愛関係が噂になります。
浜畑賢吉、高倉健、三浦友和、寺尾聰、井上純ー・・・と、ちょっとした芸能史ができそうなほど。そこに歯科医や青年実業家、雑誌編集者をはさんで、竹脇無我との不倫関係にもなったといわれています。
1965年には日活映画『星と俺とできめたんだ』で渡哲也さん西郷輝彦さんと共演しました
十朱幸代さんと西城秀樹さん、1989年にドラマで共演していた!写真も
十朱幸代さんと西城秀樹さんは、1989年に森瑤子原作のNHKドラマ「夜の長い叫び」で共演しました。
出典元:スポーツ報知
その時は、十朱幸代さんは47歳。西城秀樹さんは34歳。年の差は13歳です。
その共演が恋愛に発展していきます・・・
出典元:デイリー新潮
十朱幸代さんの演じる女性は、何かから逃げるという設定でした。
ハイヒールを履いて、石畳の坂道を駆け下ります。後ろからその私を追いかけてくるのが西城秀樹さん・・・
リハーサルを何度か重ねて、さあ本番。本番となると気持ちも入り、夢中で逃げました。すると、坂道の途中で何かにつまずいてしまい、体が宙に浮きました。転びかけたのです。「あ、このまま地べたに叩きつけられる!」恐怖にかられたその瞬間、彼は私の横に回り込み、倒れる私の下敷きになって、私を受け止めてくれました。危機一髪! すごい運動神経です。あの日から、私の頭のなかはキラキラキラキラ、心臓はドキドキドキドキして。この恋心がスタッフや他のひとにバレないように細心の注意をしながら、でも心の中では「どうぞこの仕事が長引き、終了が少しでも遅くなりますように」と願っていました
出典元:デイリー新潮
十朱幸代さんと西城秀樹さん、フォーカスにフライデーされてしまう!
二人の交際は「フォーカス」が西城秀樹が十朱幸代の家に泊まり込んでいたと報じて明るみになってしまいます。
西城秀樹さんは“真剣に愛しています”、十朱幸代さんは“西城秀樹さんとはフィーリングが合うの”とコメントを寄せたほどで、堂々たる交際ぶりでした。
1989年秋にはハワイへの婚前旅行を計画しますが、事前に乗る飛行機や泊まるホテルがバレたうえ、ワイドショーのレポーターがハワイに先乗りするという大騒ぎになって断念しています。
ただ、翌年3月にはアメリカ西海岸への逃避行に成功し、10日間ほど、水入らずの時間を過ごしています。
「“これまで付き合った若い子とくらべて、大人の話ができるし、仕事の相談もできる。キャパシティが大きいから、一緒にいてラクなんだ”と、秀樹に聞かされたのを覚えています」
出典元:デイリー新潮
十朱幸代さんと西城秀樹さんは結婚まじかだった!
十朱幸代さんは著書では名前を伏せながらも「実は婚約発表会見を1週間後に準備するというところまで行きました」と新事実を告白しています。
「“(結婚)したいな”と思ったことがあったんですよ。結婚式ギリギリ、発表の1週間くらい前まではそのつもりでいたんですけど。日取りは決まってなかったけど、発表(は決まっていた)? うん、うん」「もう、すごい反対で。私の家族、母とか兄とか妹とかが反対で。で、あちらのご家族ともお目にかかったんですけど、感じのいい方たちだったんだけど、やっぱり、ものすごい反対なんです」「で、ちょっと私が動揺してるから、“やっぱり結婚はダメなのかな”と、彼は。だんだん気持ちが……、うん。っていうようなくだりはありました、かつて」
出典元:デイリー新潮
十朱幸代さんは、西城秀樹さんの死後、相手が西城さんであることを記者に確かめられると
「名前を控えさせていただいたのはご家族やファンにご迷惑をおかけしたくないから」
と暗に認め、
「遠くから拝見すると素敵な家庭を持たれ、ご病気になられたのも聞いて驚いた」
と、距離をとりながらも気にかけていた様子。
「(破局後は)たまたま目にしても切り替えて見ないようにしていた」
と複雑な胸中も口にしています。
事実婚の経験はあるものの独身を貫いている十朱幸代。大恋愛が実らなかったことに・・・
「周りはみんな反対だった。その時私は50歳手前で、子供のことなどを考えると、押し切ってまでという自信がなかった」
と語っています。
十朱幸代さんが西城秀樹さんとの秘密を暴露?フライデーされていた?まとめ
十朱幸代さんと西城秀樹さんはとても相性のいいカップルだったのでしょう。
西城秀樹さんも当時は大スターであったこと、年の差があったことなどまわりの大反対で結婚には至りませんでした・・・。
当時は今のほど年の差婚は一般的ではなかったですから。
うわさレベルも含めると、十朱幸代さんはとても恋多き女だったようですね。
著書の「愛し続ける私」では名前は控えているものの西城秀樹さんとの関係を綴っています。もしかするとさらにいろいろな話が出てくるかもしれません。
集英社さんから、十朱幸代さんの「愛し続ける私」が入荷しました。芸能生活60年を迎えて、ますます輝く、日本の映画・TV・演劇界を代表する女優・十朱幸代さんの初の自伝。 pic.twitter.com/OwpVdq0cLe
— ブックスキタミ港南台店 (@kounanda_kitami) October 5, 2018