伊勢佐木町ブルース
で有名なブルースの女王、青江三奈さんは2000年7月2日に亡くなられました。
死因は膵がんということですが、改めて調べてみました。
青江三奈さんの活躍もたどってみたいと思います。
青江三奈さんの死因は膵がん、59歳の早すぎる最後
青江三奈さんプロフィール
出典元:作曲家・・・花礼二の世界
- 出生名: 井原 静子(いはらしずこ)
- 生誕 :1941年5月7日
- 出身地 :東京都江東区
- 死没 :2000年7月2日(59歳没)
- 学歴 :成徳学園高等部卒業
- 花礼二さん(本名:鈴木礼二)と入籍のため、戸籍上は鈴木清子
がんの告知
1998年、57歳の時、背中に激痛があり病院で検査を受けた結果、膵臓癌(すい臓がん)と診断されました。
それでも青江三奈さんは病を隠して、仕事をキャンセルせずに歌い続けました。
1999年1月23日の渋谷公会堂でのコンサートを最後に、病気療養のため入院しました。
出典元:作曲家・・・花礼二の世界
闘病生活
1999年2月5日、
9時間にも及ぶ大手術が成功し、
3カ月の入院生活を経て1999年4月24日にいったん退院しました。
退院後は歌手活動の復帰に向けて、抗がん剤治療の点滴通院を受けながら美容院に向かうなど、準備をすすめていましたが・・・
復帰に向けて準備していたが・・・
しかし体調は一進一退の状態が続き、翌2000年2月に体調が悪化したため再入院。
その際に膵がんの転移が発覚しました。
その後入退院を繰り返しながら闘病生活を送り続けていましたが、
2000年7月2日、膵臓癌により死去、59歳の早すぎる死でした。
青江三奈さんの葬儀・告別式では、親友だった水前寺清子さんが、歌手仲間の代表として涙ながらに弔辞を読みました。
青江三奈を襲ったすい臓がんとは
国立がんセンターの統計によりますと、すべてのがんの5年生存率が62.1%のところ、
すい臓がんは5年生存率7%。
がんのなかでも難しい病気とされています。
生存率が低いことで、比較的若い年齢で亡くなるかたも多いようです。
有名人では、実業家スティーブ・ジョブズ(56)、俳優パトリック・スウェイジ(57)、歌舞伎俳優坂東三津五郎(60)、安倍晋三元首相の父親安倍晋太郎(67)、元巨人選手土井正三(67)、元大関大麒麟将能(69)、ジャーナリスト黒田清(70)、俳優夏八木勲(74)などが、すい臓がんで亡くなっています。
自覚症状がない
特徴的な自覚症状がなく、見つかった時は手遅れになりやすいがんです。症状として腹痛、黄だん、腰や背中の痛み、食欲不振、体重減少が挙げられます。
すい臓は「沈黙の臓器」と呼ばれ、よほどがんが進行しないと症状がでにくい。小さなすい臓がんの場合は、腹痛や黄だんなどの症状が出ないことが多く、発見時にはすでに手術ができない状態が多いようです。
がん検診でも発見しにくい
がん検診による早期発見、早期診断ですが、他のがんでもよく行なわれる腹部超音波(エコー)検査と血液検査では、すい臓がんの早期発見率が低いのが現状だそうです。
定期的に検診を受けていても、すい臓がんが発見されたときは手遅れになる場合があるようです。
予防法は糖尿病を防ぐ食生活と運動習慣
すい臓がんになりやすい危険要因はいくつか明らかになってきています。
喫煙習慣がよくない
タバコがよくないです。
喫煙者が発症するリスクは、非喫煙者に比べ、男性は1.6倍、女性は1.7倍になります。タバコは他の病気でもリスク要因となっていますので、禁煙する・できる限り減らす努力は必要でしょう。
血糖値の上昇に注意
血糖値の上がりやすい食品を多くとることに注意しましょう。脂肪分の多い肉類/ご飯/パンなどは適量で。
逆にマグロやイワシ、サンマなどの青魚をたくさん食べ、魚に含まれているDHA(ドコサヘキサエン酸)という不飽和脂肪酸を多く摂取すると、発症リスクが3割減るという報告があります。
糖尿病のリスクに近い
すい臓がんのリスクは糖尿病のリスクと似ているため、中高年になって急に糖尿病を発症したり、食生活や生活習慣には問題がないはずなのに急に血糖値が悪化したりした人は、すい臓がんを疑って精密検査を受けた方がいいとのことです。
血液中に糖分が増える(糖尿病の現象)→すい臓に負担がかかる→すい臓が炎症を起こす(すい炎)→すい臓がんの要因となる
といったこともいわれています。
とにかく生活習慣には注意して過ごしてください。
青江三奈さん死後の遺産トラブル!
青江三奈さんは、亡くなる2カ月前に、花礼二さんと入籍しています。
花礼二さんは青江三奈さんが若い頃、まだヒット曲もない頃から歌唱指導をしていました。
出典元:作曲家・・・花礼二の世界
二人は20年間同棲していたそうです。
事実婚状態ですね。
出典元:作曲家・・・花礼二の世界
二人の関係は1981年に破綻。
しかし2000年の青江三奈さんのがん闘病中に、よりが戻ったそうです。
青江三奈さんには姉と兄がいましたので、青江三奈さんが独身であれば遺産はすべて姉と兄で2分の1となるはずでした・・・遺産総額は3億円以上!!
しかし、死をまじかにして、青江三奈さんは花礼二さんを呼び寄せ最後を一緒に過ごしました。そして入籍・・・
出典元:作曲家・・・花礼二の世界
財産分与は夫、花礼二さんが4分の3、残りを姉兄で分けることになりました。
そこで、姉兄と花礼二さんとの間で相続争いが起きてしまいました・・・
花礼二さんが、姉兄それぞれに数百万を渡し、和解へ至ったとのことです。
出典元:作曲家・・・花礼二の世界
花礼二さんは、一周忌を終えたあと、熱海での生活を始め
青江三奈さんのステージ衣装などを運び込みました。
その後、青江さんが住んでいた目黒区の自宅は処分して
いずれは、『青江三奈記念館』を作りたいと話していましたが・・・
2021年に花礼二さんは急逝、89歳でした
青江三奈さんの歌手活動
青江三奈さんの歌手活動のスタートは高校時代でした。
高校在学中から銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」でステージに立っていました。
高校卒業後は西武百貨店勤務を経てクラブ歌手となり、
1966年に「恍惚のブルース」でメジャーデビュー。
80万枚の大ヒットとなりました。
引き続き、1968年には「伊勢佐木町ブルース」が100万枚のミリオンセラーヒットとなり、
イントロの「色っぽい吐息」が話題になりました。
さらに「長崎ブルース」が120万枚と連続ヒット。
第10回日本レコード大賞歌唱賞と第1回日本有線大賞スター賞を受賞しました。
1969年には「池袋の夜」が150万枚の最大のヒットを記録しました。
▫️青江三奈▫️
“池袋の夜” 1969年発売
作詞:吉川静夫 作曲:渡久地政信 編曲:寺岡真三https://t.co/OmxwJdFmV5 pic.twitter.com/CwsG22V0BC
— Baby Universal (@6666field) July 31, 2019
お色気路線のマスプロアンテナのCMも有名ですね。
1960年代後半に独特のハスキーボイスで大ヒットをとばした青江三奈さんの活動を振り返ってみますと、曲の良さと、時代にマッチした和製ブルース路線がとても懐かしく感じますね。