1940年代生まれ

舟木一夫さんの若い頃、大ヒット曲「高校三年生」は日本中の学校で歌われていた!

舟木一夫

永遠の高校三年生、舟木一夫さんは西郷輝彦さん、橋幸夫さんと“御三家”として絶大な人気がありました。

苦しかった少年時代や大活躍していた若い頃を振り返ります!

finaki-kazuo

舟木一夫さんのプロフィール

  • 出生名 :上田 成幸
  • 生誕 :1944年12月12日
  • 出身地:愛知県一宮市
  • 愛知高等学校
  • 自由ヶ丘学園高等学校
  • 血液型:O型
  • 身長:172センチ

舟木一夫さんの若い頃、家計を助けるために歌手を目指した

舟木一夫さんの父親は石川県河北郡津幡町笠谷の旧家の出で、父方の祖父は「立山伊次郎」の四股名で雷部屋に所属した力士でした。

舟木一夫さんの本名は“上田 成幸”で、「成幸」という名前は楠木正成と真田幸村の二人の武将から一字ずつとって命名されたそうです。

舟木一夫さんの父親は愛知県下でも有名な“一宮の飛車角”といわれた博徒でした。

女性関係もハデで9人も母親が入れ替わっていました。

幼い頃から歌が大好きで、1か月間肩叩きを続けたご褒美にと祖母からハーモニカをプレゼントしてもらったこと、ラジオで三橋美智也の歌を聴いたことで興味をもつようになりました。

舟木一夫さんの生家は裕福ではなく、13歳年下の弟が出来た頃、

「誰かがこの家にお金を入れ続けないと。弟が物心つくまでに人並みの生活をさせてあげたい」

と、学校を卒業したら、自分の才能でお金が稼げる仕事に突きたいと考えていました。

そんなころ、友人の家のテレビで歌手を見て、これだと思い歌手を目指すようになりました。

中学2年生の時に父に頼み込み、名古屋市内の教室に通って歌のレッスンを受け、

高校2年の1962年にテレビの番組『歌のチャンピオン』に出場してみごとチャンピオンに!

当時青春スターだった、松島アキラのヒット曲『湖愁』を歌いました。

上京して作曲家遠藤実さんに師事

これがきっかけとなって上京し、作曲家遠藤実さんの元でレッスンを受けました。

橋幸夫さんは、当時デビュー2年目で青春スターとして大人気でした。

舞台で時々学生服を着て歌っていた橋幸夫さんの対抗馬として、当時現役高校生だった舟木一夫さんを学生服デビューさせることになりました。

舟木一夫さんのデビュー曲、「高校三年生」が大ヒット

舟木一夫 高校三年生舟木一夫 高校三年生

 

1963年、学生服を着てデビューするのは当時でも異例のことで舟木一夫さんの伸びやかな歌声とあどけないイメージで大ヒット。

当時すでに高校を卒業していた舟木一夫さんですが、母校の制服を着てジャケット撮影をしたそうですよ

「高校三年生」は発売1年で100万枚の大ヒットを飛ばし、第5回日本レコード大賞新人賞を受賞しました。

デビューから二ヶ月後には同名の映画も制作され、こちらも大ヒット。

橋幸夫さんは1960年に「潮来笠」でデビューして演歌歌手として人気でしたが、1962年に吉永小百合さんとのデュエット曲「「いつでも夢を」が発売され更に、1963年のお正月に同名映画が上映されました。

そのタイミングで舟木一夫さんの「高校三年生」が大ヒット。

歌詞にあるように

ぼくら
離れ離れに なろうとも
クラス仲間は いつまでも

と、学生服を着て歌う、舟木一夫さんは、大人だけではなく中学生、高校生にも大人気となりました。

学校でみんなで歌える歌謡曲が新鮮だったのだと思います。

遠藤実という人はすごい作曲家ですね。

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続けて発表された、「修学旅行」と

修学旅行 舟木一夫

「学園広場」で学生服のイメージが定着しました。

学園広場 舟木一夫 仲間たち 舟木一夫

1964年も学生服で攻めています「涙の敗戦投手」

涙の敗戦投手 舟木一夫 君たちがいて僕がいた 舟木一夫
おじいちゃん
おじいちゃん
吉本新喜劇のチャーリー浜さんのギャグ「君たちがいて、僕がいる」とは関係あるのかのう?
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学生服のさわやかなイメージと、歌のタイトルが「学園」や「修学旅行」といったワードで団塊世代のハートを掴みました。

「夢のハワイで盆踊り」(東映、1964年8月)「夢のハワイで盆踊り」(東映、1964年)
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舟木一夫さん、3度も自殺未遂していた

「御三家」として大人気だった、舟木一夫さんですが、歌謡映画ブームも去り、1967年頃からグループ・サウンズがブームになり歌謡曲低迷時代をむかえ、ヒット曲に恵まれなくなってしまいました。

次第に精神的に追い込まれた舟木一夫さんは、1970年、1971年に自殺未遂。

1972年には宿泊していたホテルから失踪し、睡眠薬をのんで昏睡状態になっているところを発見されました。

当時のことを振り返り

自分を取り巻く歯車が、ひとつ、またひとつ、さらにもうひとつかみ合わないままにこぼれていく。レコーディングで、テレビのスタジオで、事務所で、そして家の中で・・・

ともかく僕が動くたびに、頭の中で、カチッ、カチッと何かが音をたてていた。といって、仕事場から、事務所から、家族の前から、逃げ出すことはできない。

こうなると、先読みもマイナーな方向にしか働かない。結局は千駄ヶ谷の旅館でひとり、バカをやってしまった。

と語っています。

そんな、舟木一夫さんをなんとか再起させるために、師匠の遠藤実さんが寝ないで死に物狂いでデビュー当時に戻ってもらう為にと作ったのが「日曜日には赤い薔薇」でした。

この曲を作った後、遠藤実さんは過労で2ヶ月間寝込んでしまったそうです。

1971年 日曜日には赤い薔薇 舟木一夫1971年 日曜日には赤い薔薇 舟木一夫

 

僕の大好きなものはなんと言っても君、その次に好きなのは君のいる町

いい曲ですが、ジャケットは当時すでに下火だったグループ・サウンズ風のサイケデリックなイメージで、舟木一夫さんのイメージとは合わなかったのではないでしょうか?

舟木一夫さん、熱烈なファンに支えられて復活

舟木一夫さんはヒット曲に恵まれず地方周りなど不遇な時代を過ごしていました。

そのころ、マネージャーの使い込みで借金地獄になり、かわいがっていた弟が交通事故死するなど不幸が重なりました。

仕事に集中できずに夜遊び朝帰りを繰り返す毎日、そんなとき

芸能プロダクション「アイエス」の伊藤喜久雄代表との出会いで

中年の人に喜んでもらえるアイドルになりたい

と決意、伊藤喜久雄代表からは

舟木さんはお金のにおいがしない。貧乏神がついているんじゃないか。追い払おう。それとカラダが痩せている。太ってくれ・・・

とアドバイスされて、当時体重が51キロだった舟木一夫さんは食べまくって60キロ台まで増やして舞台での貫禄も増しました。

特に中高年女性のアイドルとして復活、

「同じ青春を過ごした仲間にしか通用しない歌い手でいい」

座長公演を行うなど精力的に活躍されています。


舟木一夫さんの若い頃、まとめ

青春スターとしてデビュー後いきなり「高校三年生」で大ブレイクした舟木一夫さんの芸能生活は決して順風満帆というわけではなかったようですね。

しかhし、見事に復活し、青春をともに過ごしたファンに素敵な歌声を届けています。

自粛していた公演も楽しみになってきました。

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