1940年代生まれ

西郷輝彦さんの若い頃のイケメンぶりを画像で確認しました!!

西郷輝彦

橋幸夫さん、舟木一夫さん、とともに御三家として大人気だった西郷輝彦さん

残念ながら2022年にお亡くなりになりました・・・甘いマスクで大人気だった若い頃の活躍を画像で振り返ります!

西郷輝彦さんのプロフィール

  • 本名:今川 盛揮(いまがわ せいき)
  • 生年月日:1947年2月5日
  • 没年月日:2022年2月20日(75歳没)
  • 出生地:鹿児島県鹿児島郡谷山町(現:鹿児島市)
  • 谷山市立谷山小学校
  • 谷山市立谷山中学校
  • 鹿児島商業高校中退
  • 身長:176 cm
  • 血液型:A型
  • 配偶者:辺見マリ(1972年 – 1981年)
  • 長男:辺見鑑孝(ミュージシャン・プロモーター)
  • 長女:辺見えみり(タレント)
  • 三女:今川宇宙(モデル)

西郷輝彦さんの若い頃、四人兄弟の末っ子として生まれた

西郷輝彦さんのお父さん・今川盛智(いまがわ せいち)さんは鹿児島の出身でした。

「村上呉服店」という大きな呉服屋の北九州支店を任されていたことから、単身赴任で北九州市に住んでいました。

お母さんのフサ子さんは、宮崎の大きな帽子屋のお嬢様だったそうですが、盛智さんが呉服の営業でその屋敷に出入りしていたことがきっかけで見初めて二人は恋に落ちました

当時の世の中では相当な身分の差だったみたいで二人は鹿児島に逃げ(いわゆる駆け落ち)鹿児島で結婚しました。

西郷輝彦さんはご両親の4人兄弟(兄2人・姉1人)の末っ子として誕生

本名の「今川盛揮(いまがわ せいき)」は占いに詳しかった父親が画数を考えて名付けたそうです

小学生時代は近所の子供を集めては自身で作った紙芝居を披露したり、小林旭さんのマネをしてギターを弾きながら歌を歌ったり・・・目立つことが大好きな少年でした。

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中学生になると主としてスポーツに力を入れ、野球、テニス、バレーなどが得意でした。

身長が高かったせいで他のクラブから試合への参加を頼まれることもあったそうです。

将来は歌手になるか、石原裕次郎、小林旭などダイヤモンドラインと言われた日活映画に憧れ映画俳優になりたいとの夢もありました。

石原裕次郎
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実際に当時あった映画会社5社のニューフェイスに応募しましたが、結果は落選でした。

西郷輝彦さんの若い頃、二人の兄を相次いで亡くしてしまう

音楽が好きで10代でジャズドラマーとして活動していた1番上のお兄さんと、スポーツマンだった2番目のお兄さんの影響を受けていましたが・・・

西郷輝彦さんが9歳のときに二番目の兄が熱中症で亡くなってしまいました・・・

西郷輝彦さんの著書「生き方下手」では

自分の身近で初めてともいえる「人間の死」を目の当たりにしたぼくは、当然、大きなショックを受けた。

昨日まで一緒に遊んだ人間があっけなく死んでしまうその様が、ぼくにひとつ、翳(かげ)りを与えた。

と語っています。

中3の時に1番上の兄が事故死!

次兄を亡くしてから6年後、西郷輝彦さんが15歳のときに1番上のお兄さん・勝晶(かつあき)さんが20歳という若さで他界。

釣り船で沖にでて遭難してしまったことによる事故死でした。

相次ぐ兄たちの死によって茫然自失となってしまった西郷輝彦さんですが

必然的に家の自営業を継ぐ必要がでてきました

鹿児島商業高校では、ブラスバンド部に所属しドラムを演奏

野球部が甲子園に出場することになり、応援団として甲子園に行くことに・・・

芸能活動に憧れていた西郷輝彦さんは、この機会を利用してジャズ喫茶にいこうと考えていました

そして、試合が終わると大阪にある有名なジャズ喫茶「ナンバ一番」に行きました

ナンバ一番
ナンバ一番ライブハウス ナンバ一番あと

 

ナンバ一番ライブハウス ナンバ一番

 

ナンバ一番では「克美しげるとロックメッセンジャーズ」が「片目のジャック」という曲を演奏していたそうで、感動しましたが、

「これくらいなら自分でもできるんじゃないか?」と思い

ボーカリストの募集のコンテストに応募することを決心

鹿児島に戻った西郷輝彦さんは、大阪に行くことを母親に告げましたが相手にしてもらえず

高校を中退して家出同然で大阪へ

1962年に鹿児島商業高校を中退後、鹿児島からヒッチハイクで大阪に行きました。

歌手のオーディションは残念ながら落選してしまいましたが、

審査員の口利きでジャズ喫茶のバンドボーイをしていましたが、ジャズ喫茶の人気も下火になったころ、歌手としてスカウトされました。

後に、西郷さんのマネージャーとなる相澤秀禎さん(後にサンミュージックプロダクション代表取締役会長)にスカウトされ

相澤秀禎さん(左)と西郷さん(右)相澤秀禎さん(左)と西郷さん(右)

 

1964年2月、クラウンレコードより「君だけを」でデビュー

西郷輝彦『君だけを』西郷輝彦『君だけを』

同曲はいきなり大ヒットし60万枚を売り上げました

続けて「十七才のこの胸に」もヒットし、両曲でその年の第6回日本レコード大賞新人賞を獲得。

十七才のこの胸に 西郷輝彦 十七才のこの胸に 西郷輝彦

 

同年「十七才のこの胸に」で映画デビューも果たしました。

西郷輝彦/本間千代子【十七才のこの胸に】西郷輝彦/本間千代子【十七才のこの胸に】

芸達者な西郷輝彦さんは当時、雑誌明星に自ら我修院建吾のペンネームで連載小説を書き、映画にもなった自作曲「傷だらけの天使」もヒットしました

 

本間千代子西郷輝彦太田博之『あの雲に歌おう』本間千代子 西郷輝彦 太田博之 『あの雲に歌おう』

 

西郷輝彦倉本聰『涙になりたい』西郷輝彦 倉本聰『涙になりたい』

 

西郷輝彦 

西郷輝彦さんのかっこよすぎる!レコードジャケット画像








チャペルに続く白い道 1964年チャペルに続く白い道 1964年

 

君と歌ったアベマリア 1964君と歌ったアベマリア 1964年

 

始めからもういちど 1965年始めからもういちど(1965年)

 

星のフラメンコ 1966年星のフラメンコ 1966年

 

1966年に発売した「星のフラメンコ」は、30万枚を売り上げる大ヒットとなり、2008年には、フラメンコの本場であるスペイン出身の歌手・ライートが自身のアルバムでカバーしました

恋人をさがそう 1967年恋人をさがそう 1967年

 

俺たちの明日 1973年 4月5日俺たちの明日 1973年
4月5日

 

しなやかな愛 1979年しなやかな愛 1979年

 


1965年には日活映画『星と俺とできめたんだ』渡哲也さん十朱幸代さんと共演しました

渡哲也十朱幸代西郷輝彦『星と俺とできめたんだ』渡哲也十朱幸代西郷輝彦『星と俺とできめたんだ』

 








西郷輝彦さんの若い頃、1970年代の大活躍

デビューからいきなり大スターとなった西郷輝彦さんですが、1960年代に続き、1970年代も大活躍しました

これまでの歌謡曲から、もとも大好きだったロック・ポップス色の強い楽曲が立て続けにヒットしました

1970年「真夏のあらし」が大ヒット

時代を感じるハードな曲調ですね

1970年「情熱」

「真夏のあらし」に続いて阿久悠作詞、川口真作曲のその名の通り情熱的な曲です

「愛したいなら今」

阿久悠&都倉俊一のゴールデンコンビの作品で、歌唱力も抜群ですね!歌謡曲が一番良かった時代だと思います

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1972年に辺見マリさんと電撃結婚!!

ともに歌手として人気絶頂だった西郷輝彦さんと辺見マリさんが電撃結婚。
当時は女性歌手の恋愛はご法度だったので辺見マリさんは引退し、家庭に入ることになりました。

しかし多忙だった西郷輝彦さんは残念ながら離婚することになります。

辺見マリさんの若い頃、ハーフみたいじゃなくて本物のハーフだった!!辺見えみりの母親、西郷輝彦さんの元妻としても有名な辺見マリさんですが、若い頃からオトナの美しさで当時の男性をトリコにしていました。そんな辺見マリさんの美しさを画像で振り返りますよ!...

どてらい男が大人気に!!

1973年、劇作家花登筺の誘いを受け、山善創業者・山本猛夫の半生を描いたテレビドラマ「どてらい男(ヤツ)」(関西テレビ制作・フジテレビ系)に山本猛夫をモデルとした「山下猛造」役で主演、高視聴率を獲得しました。

どてらい男 どてらい男

「どてらい男」はamazon prime videoで、一部ですが無料視聴可能です!

「どてらい男」の大ヒットから、西郷輝彦さんは歌手だけでなく俳優としても大活躍していきました

御三家の、橋幸夫さん、舟木一夫さんの若い頃の思い出は別の記事にまとめました

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西郷輝彦さんの若い頃、まとめ

西郷輝彦さんの出生からブレイクするまでをまとめてみました。

石原裕次郎さんや小林旭さんへの憧れ、ジャズ喫茶のバンドマンとしての下積み生活など改めて知って西郷輝彦さんの魅力を知ることができました。

まだまだ精力的に活動されるはずでしたが残念な俳優を亡くしました