ドリフターズのリーダーとしての活躍、また晩年は味のある役者としても活躍されていた、いかりや長介さんですが、2004年3月20日に亡くなられました。72歳でした。
死因は「頸部リンパ節がん」といわれています・・・晩年のいかりや長介さんの様子を振り返ってみます。
いかりや長介さんのプロフィール
- 本名 碇矢 長一(いかりや ちょういち)
- 生年月日 1931年11月1日
- 没年月日 2004年3月20日(72歳没)
- 出身地 東京府東京市本所区中之郷横川町(現・東京都墨田区東駒形)
- 身長 175cm
- 静岡県立吉原高等学校定時制課程吉永分校中退
ドリフターズで大活躍された、いかりや長介さんはドリフターズ解散後は俳優としても活躍されました。
いかりや長介さんの死因、2000年7月に食道がんに・・・
いかりや長介さんはこのとき、一切マスコミには知らせませんでしたが、食道がんが発見されています。
内視鏡手術でがんを摘出
早期発見できたことで、内視鏡による手術でがんを摘出しました。
術後の経過も順調でした。以後は転移したとしても少しづつ摘み取っていけば大丈夫だろうということでしたが・・・
いかりや長介さんの死因、2003年4月がんが再発
定期的な検査をおこなって気を付けていましたが・・・
2003年4月に、首の右側が膨らんでいるのを、息子の浩一さんが見つけました。
病院で検査したところ、医者は「いかりやさん、最悪の状態ですね」と・・・
頸動脈にがんがあるために手術で取り除くことができない、しかもステージⅣの末期の段階であることがわかりました。
完治が難しいことは、いかりや長介さん本人には伏せたうえで治療方針が立てられました。
2003年5月、極秘入院でがんの治療を開始
仕事のスケジュールを調整しながら、2003年5月に慈恵医大に極秘入院しました。
放射線治療によって、がんを小さくする治療方針を選択・・・治療を開始しました。
2003年6月、頸部リンパ節がんをマスコミに公表
長期の入院になることが予想されたので、マスコミにも「いかりや長介さんが頸部リンパ節がんの治療のために入院」と発表されました。
2003年7月から始まる予定のTBS系のドラマ「高原へいらっしゃい」は降板することになりました。
放射線治療の合間、体力をつけるためランニングマシンで走っていたそうです・・・
いかりや長介さんの死因、2003年7月、ドラマの舞台あいさつで復帰
2003年7月19日の映画「踊る大走査線 The Movie 2」の舞台挨拶であいさつをしました。
「医者からは犯罪以外は何をやってもいいと言われましたので」といって観客の笑いを取りました。しかし、治療経過は思わしくなかったようです・・・
2003年8月、志村けんさんの舞台を見学
退院し少し落ち着いたときに、志村けんさんの舞台をお忍びで見学したそうです。スタッフから声をかけられ、楽屋にさそわれましたが、断ったそうです。心配をかけたくなかったのかもしれませんね。
いかりや長介さんの死因、2003年9月抗がん剤手術で治療・・・
2003年9月になると、激しい頭痛や味覚異常などの症状がでて治療方針を変えることになりました・・・
放射線治療では治療経過がおもわしくなく、がん細胞があまり小さくなっていなかったようです。
そこで、がんの近くにカテーテルを差し込み抗がん剤を直接打ち込むという治療方法がとられることになりました。
しかし、あごの部分にもがんが発見されていて、事態は深刻でした・・・
10月10日に一回目の手術、11月7日に二回目の手術が行なわれ、無事に終了したものの食事をとることが困難になり、胃から直接栄養を補給する装置をつけることになりました。
息子のいかりや浩一さんに余命告知されるが・・・
2003年12月に息子のいかりや浩一さんは、医師から余命の宣告を受けました
「3か月から半年、1年はもたないでしょう」とのことでした・・・
覚悟していたつもりの浩一さんもショックを受けたそうです。本人に話すことはしませんでした・・・
いかりや長介さんの死因、ドリフターズの最後の仕事
12月の初めに「ドリフの大爆笑」の40周年ということで、オープニングとエンディングを撮り直すことになりました。
いかりや長介さんは体調が悪い状態でしたが,撮りなおすこともなく無事に終了しました。
いかりや長介さんの死因、2004年3月20日死去
いかりや長介さんは2004年年明け以降も病と闘いながら、現場復帰を目指していました。体調のいい時はエアロバイクを漕ぐこともあったそうです。
しかし、体調は徐々に悪化していき、痛みも増してきました。
2004年3月12日には痛みと辛さを訴え自ら入院を要求、そのまま、慈恵医大病院に入院しました。
そして、2004年3月20日に亡くなりました・・・72歳でした
いかりや長介さんの葬儀
3月24日に行われた葬儀では、「ザ・ドリフターズ」のメンバーをはじめ、芸能関係者約800人が弔問に訪れたほか、1万人ものファンが記帳に訪れました。
いかりや長介の葬儀で、ドリフターズのメンバーにインタビューした人が明らかに「俳優・いかりや長介」についての称賛の言葉を引き出したがっていたんだけど、みんなそろって苦い顔して「・・・いや、本当はやっぱりバカ(お笑い)やってたかったと思うよ」って言ったのが印象的だった。
— アヤ先生 (@_aya_sensei) September 8, 2012
出棺の際には、ファンから、いかりやさんの持ちネタである、「オイッス!」と、声がかけられたり、「和久さん、お疲れさま!」と、「踊る大捜査線」でいかりやさんが演じた、和久平八郎の名前を呼びながら、敬礼するファンもいました。
いかりや長介さんの葬儀の映像を見ていました。
矢印の人間が私の父親になります。
(私の処理のせいで犯罪者のように…笑)
今見返すとかなり前の方にいますし貴重な映像です。 pic.twitter.com/zlhmEzKCmX— 亞考不戰然 Battleship “Yamato” (@yamatonosaka) August 11, 2016
いかりや長介さんの死因、まとめ
いかりや長介は初期の食道がんの治療が成功したと思われましたが、転移したのでしょうか?頸部リンパ節がんで亡くなられました。がんの場所が悪くとても治療が難しかったようです。
ドリフターズ全盛期から、加藤茶さん・志村けんさんが人気者となり、お笑いから役者の道へ進みましたが、初めは演技がうまくいかず苦労されたそうです。しかし、少しづつ味のある役者となっていきました・・・最後まで愛された人でしたね