商社マンの父と梨園の母をもち、14歳でドラマデビュー。
その後も映画・テレビで人気の池上季実子さんの若い頃からの活躍を画像を交えてご紹介します!
池上季実子さんプロフィール
- 本名 臼井 季実子 (うすい きみこ)
- 生年月日 1959年1月16日
- 出生地 アメリカ ニューヨークマンハッタン
- 出身地 京都府京都市
- 国籍 日本
- 身長 157cm
- 血液型 O型
- 祖父 八代目 坂東三津五郎
戦前の美男子の役者さんです。
昭和8年(1933年)、6代目坂東蓑助(1906-1975)です。
後に8代目坂東三津五郎を襲名して人間国宝となります。
また10代目坂東三津五郎(坂東八十助)や池上季実子の祖父としても知られてますね。
美食家としても有名でしたがそれが寿命を縮めてしまう事にもなりました。 pic.twitter.com/DDSfvTQif6— 戦前~戦後のレトロ写真 (@oldpicture1900) July 12, 2019
- 叔父 九代目 坂東三津五郎
- 従兄 十代目坂東三津五郎
池上季実子さんの若い頃、商社勤務の父親と梨園の母親のもと、アメリカ・ニューヨークで出生
父親は昭和30年代にニューヨークに赴任する商社のエリートサラリーマンでした。
出展元:Ms Wendy
伝統と格式の歌舞伎界で育った母親とは、生活習慣が違っていて、結婚当初からあまり関係はよくなかったようです。
出展元:Ms Wendy
池上季実子さんが3歳の時に帰国、京都に住むことになりました。
池上季実子さんの若い頃、京都で幼少期を過ごす・・・
幼少期はあまりいい思い出はなく、特に厳格な父親からはきびしいしつけを受けていました。
出展元:Ms Wendy
父親が帰宅する時間には、母親と姉弟の3人で玄関に正座して待つことになっていました。それができていないと激しい体罰があったそうです。
京都に住んで間もなく、父親は商社を辞めて、プラスチック部品の塗装工場を立ち上げ、経営を始めましたが・・・あまりうまくいかなかったようです。
そのため、商社マンと結婚したのに・・・と考える母親との関係も悪くなり、けんかが絶えない夫婦生活になっていきました。
そんな幼少期の池上季実子さんでしたが、祖父の八代目 坂東三津五郎にはかわいがられていました。
おさない池上季実子さんは「大きくなったら、歌舞伎役者になりたい」と祖父に話しますが、
「女の子は歌舞伎役者にはなれないんだよ」と言われ悲しかったそうです・・・
そんな祖父の八代目 坂東三津五郎は大変な美食家でしたが、池上季実子さんが15歳の時に、フグの肝を食べフグ中毒で亡くなりました。
フグ中毒死では有名な事件となり、調理師は実刑判決を受けることになりました。
池上季実子さんの若い頃、両親が不仲に・・・別居で東京生活に・・・
小学校を卒業後、両親は別居することになりました。
両親は離婚を考えていましたが、池上季実子さんが猛反対したことで別居を選択。
母・弟とともに東京へ転居することになりました。
池上季実子さんの若い頃、14歳でドラマデビュー
東京では玉川学園に入学しました。1973年(昭和48年)14歳の時に、3歳年上の五代目坂東八十助(現在の十代目坂東三津五郎)のドラマの収録を見学しにNHK放送センターのいったところをスカウトされドラマ出演することに・・・
両親の不仲から、「自分で職を得て食べていかなければいけないなあ」と考えていたそうで・・・ドラマ出演も躊躇することはなかったとのこと。
1974年にNHKの少年ドラマシリーズ『まぼろしのペンフレンド』でデビューしました。演技の勉強をなにもしておらず手探り状態だったようです。
その年、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)のドラマ『純愛山河 愛と誠』でヒロインを演じ人気が爆発しました。
池上季実子さんの若い頃、「愛と誠」早乙女愛役で大ブレイク!!
NHKのドラマに出演していた池上季実子さんは、NHKの推薦状をもって「愛と誠」のオーディションを受けにいったそうです・・・
池上 季実子の誕生日。#愛と誠 #坂東三津五郎 pic.twitter.com/xhVgJ0gI5E
— 76歳OL (@caw534021) January 15, 2016
玉川学園高等部に進学しましたがドラマ撮影のために授業を欠席することが多くなり、堀越学園に転向しました。同級生には岡田奈々、森昌子、岩崎宏美らがいました。
中央が池上季実子さん。左下が森昌子さん。左斜め上が岩崎宏美さんですね。
出展元:JIJI.COM
池上季実子さんの若い頃、1977年、大林宜彦監督の初の劇場映画「ハウス」で映画初主演
40年以上前に製作された、
大林監督の「ハウス」をみたけど、ホラーなのかコメディなのかよくわからん?
ただ言えるのは若かりしき頃の女優が美しい事❗️
主演の池上季実子、神保美喜、大場久美子、鰐淵晴子等々。
特に池上季実子の美しさは半端なく、ヌードも見れてそれだけでOKか? pic.twitter.com/srxUlOpzQQ— K-METAL (@KIMETAL4) October 23, 2019
池上季実子さんの若い頃、1978年、東映映画「冬の華」で高倉健さんと共演
当初、ヒロイン役は山口百恵さんの予定であったが、スケジュール等の理由で池上季実子さんが演じることになりました。
冬の華(1878年)より
遠くから見守っていた少女、池上季実子(19)と会ってしまうシーン。この少女は山口百恵(19)が演じる予定だったが様々な事情で実現しなかった。 pic.twitter.com/ABzjoEKEIh— B-Films (@lowgai_junk) October 30, 2019
脚本は倉本聰さん、音楽はクロードチアリという異色のやくざ映画でした。

1979年公開の太陽を盗んだ男では、沢田研二さん、菅原文太さんと共演しています。
太陽を盗んだ男
テンポの良さと俳優さん方の決死感、そしてその時代を知らないからこその説得力みたいのも相まって、ものすごい空気感で最後まで観入ってしまった?
沢田研二さんと菅原文太さんのカリスマ感がとにかくヤバい…あと池上季実子さんの石原さとみ感みたいのも面白い? pic.twitter.com/vo7NkLlkki— 行け!シン・takuuLLA (@takuulla) August 4, 2019
やせた香音ちゃんが誰かに似てるなと思ってたんだけど、あれだ。『太陽を盗んだ男』の頃の池上季実子さんだ。 pic.twitter.com/4USB3KQt37
— TK (@tk3838) August 3, 2015
太陽を盗んだ男
警察に押収された「手造り原爆」を奪還した木戸(#沢田研二)とDJのゼロ(#池上季実子)がパトカーと繰り広げるカーチェイスシーン。ここで流れるロマンティックなBGMがたまらん。あえて派手なアップテンポの曲を付けなかったセンスが素晴らしい。#井上堯之 #長谷川和彦 pic.twitter.com/qJ72PCqa3G
— 必殺必転しごき屋稼業 (@jidaigekhissatu) May 5, 2018
池上季実子さんの若い頃、演技派女優として飛躍
時代劇では『草燃える』を皮切りに、ヒロイン役(もしくはそれに準じる役柄)で出演したことで知られる(特に前3作は狂気を帯びた破滅的なキャラクターだった)。
1983年の大河ドラマ「徳川家康」では家康の正室、瀬名(築山殿)を演じました。
大河ドラマ「徳川家康」で私、築山殿を演じた池上季実子様。
とても美しいですね pic.twitter.com/PbGDF11zDT
— 築山御前(瀬名) (@tsukiyamagozen) May 23, 2017
1983年には五社英雄監督の「陽暉楼(ようきろう)」に出演。陽暉楼のNo.1芸妓「太田房子(桃若)」を演じました。
1984年の『陽暉楼』で第7回日本アカデミー賞優秀主演女優賞、1989年の『華の乱』で第12回日本アカデミー賞優秀助演女優賞をそれぞれ受賞しました。
私生活では、1985年に古美術商を営む10歳年上の一般男性と結婚しました。入籍発表をしていなかった理由は「それ以前のマスコミによる嘘の交際報道により深く傷つき、マスコミ不信になっていたから」と後に告白。1女を出産した後、3年あまりの結婚生活を経て、離婚してしまいました。
池上季実子さんの若い頃!まとめ
非常に厳格な両親の元で厳しく育てられ、親の愛情を感じることの少ない少女時代を過ごしたことや、歌舞伎役者の家系に生まれたことなどが、かわいいだけではない女優としての深みにつながっているようでした。
現在も元気に活躍されていますのでこれからもテレビ出演が楽しみです!
「冬の華」で共演された、高倉健さんはこちらの記事で紹介しています

