阿部寛さんと加藤雅也さん、同時代にメンズノンノのモデルで芸能活動をスタートし、ふたりとも現在も大活躍されています。
加藤雅也さんの若い頃のイケメンぶりを画像を発掘しながら紹介いたします!
加藤雅也さんのプロフィール
- 生年月日:1963年4月27日
- 出生地:奈良県奈良市
- 奈良市立飛鳥小学校
- 奈良市立春日中学校卒業
- 奈良県立奈良高校卒業
- 横浜国立大学教育学部
- 身長:183 cm
- 配偶者:医師でクリニックの院長
- 血液型:A型
- 趣味:陸上、ボクシング、スキー、水泳
- 特技:英語、マーシャルアーツ、居合、ボクシング、合気道
加藤雅也さんは、奈良県奈良市の出身
奈良県立奈良高等学校卒業
奈良県屈指の公立高校ですね。偏差値72!
超優秀でないと入れません。
高校時代は陸上部に所属、インターハイにも出場する実力がありました
もちろんそのルックスからモテモテで
高校で最もカッコイイ男性を選ぶミスターコンテストで3年連続優勝!
成績は優秀でしたが、勉強することに疑問を持ち続けていました・・・
「先生、何で勉強するんですか?」「ええ大学行って、ええとこ就職して、ええ給料もらうためや」
そんな説明に納得はしていませんでしたが
横浜国立大学教育学部に進学、保健体育を専攻していました
教師になりたかったそうです。
スポーツができても、オリンピックに行けるわけではなく、勉強ができても東大に入れるわけじゃない。
加藤雅也さんの若い頃、大学時代にモデルの仕事をスタート
進路に悩んでいた頃、偶然モデル事務所の人と知り合い、知識もなかったもののモデルの仕事に興味を覚えました
しかし、
父親に大学に行かせてもらっている以上、『好きだから』とかそんな単純な理由で将来の道を選ぶわけにはいきませんでした。
出典元:NEWSポストセブン
その道でやっていけるかどうかを自分で判断しなければいけないと考え・・・
その時気づいたのは、この世界が他力本願だということです。努力して試験に合格すれば弁護士や医師という職業につけますが、モデルも歌手も役者も、仕事が来なかったら『自称』でしかない。
出典元:NEWSポストセブン
仕事が来るか来ないかは、「時代にあっているかどうか」だと考え、
「メンズノンノ」に選ばれたことは、時代にあっているのだろうと、モデルの道へ進むことを決心しました。
メンズノンノ時代の阿部寛がけっこうなイケメンで驚いた。加藤雅也に至ってはマネキンかと思うくらい造形が完璧。
大学時代に陸上インターハイというだけあって足の筋肉が。 pic.twitter.com/Ltl2s7vFQm— False vice (@Roundbeet) December 28, 2016
加藤雅也さんの脚の筋肉がすごい!!
モデルになってからも鍛えていたようですね
加藤雅也さんは自分で売り込みをしながらモデル活動を続けていました。
メンズノンノのモデルでは一緒に活躍していた阿部寛さんとは別の道にすすむことになります。
パリコレに参加・・・世界とのレベルの差を痛感
モデルとしてパリコレの舞台に立ちましたが・・・
行ったら慄然としました。世界とのレベルの差が凄い。向こうは当時、ギリシア彫刻みたいなモデルばかりでしたから。
出典元:NEWSポストセブン
モデルの仕事について悩みながら、俳優としてやっていけないかと考えるようになりました
『これはダメだ』と思っている時に、考えるようになったのが、俳優という表現でした。モデルは体格やルックスが重要ですが、俳優は背が小さくても太っていても、それが個性としてある。個性を磨けばやっていけるかもしれないと模索を始めました
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加藤雅也さんの若い頃、俳優の道へ
1988年に松竹の新人オーディションで3,000人の応募者の中から合格し、俳優に転身。
デビュー作のすずきじゅんいち監督「マリリンに逢いたい」では準主役の大輔を演じました。
僕は演技の勉強をしていなかったので、張子の虎でした。ですから、現場で勉強するしかありませんでした。
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ウッウッ(;_;)
映画「マリリンに逢いたい」予告編・エンディングhttps://t.co/ZlNhfxUYgT pic.twitter.com/6aJmkP4Alv
— たたかわないアスカハニー (@sswd56) August 22, 2017
まだこのころは無名の俳優でした
不良少年たちの青春を描いた関本郁夫監督「クレイジーボーイズ」では主演を努めました
五社英雄監督「226」ではクーデターを起こす青年将校の一人を演じました。
「五社さんは僕からすると大・大・大監督ですから。そのオールスター映画に選ばれたのは凄く光栄なことでした。 『ああしなさい、こうしなさい』と言う人ではなくて、その人間を活かしてくれる監督でした。じーっと演技を見ていて、ここぞというときに近寄ってきて『奥歯を二、三回くらい噛みしめてくれ』みたいなことをおっしゃって。そうすると、それが苦悩の表情になるんです」
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1992年、歌舞伎役者の坂東玉三郎が監督した映画『外科室』では吉永小百合さんの相手役を務めています。
玉三郎さんは和製ヴィスコンティみたいな方で、とにかく『美しくなければならない』ということにこだわっておられました。それは言葉についてもです。たとえば『がぎぐげご』を全て鼻濁音で発声するとか、そういうことをたくさん教えてくださって、とても感謝しています。
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加藤雅也さんの若い頃、ハリウッドに挑戦するが・・・
1990年代後半に渡米し、ハリウッド映画に挑戦しました。
ハリウッドで役者や英語の勉強をしながら、オーディションを受け続けましたがなかなか合格できず。
今と違って日本人がハリウッドで役を得るのは大変だったようです。
可能性がありそうだから、諦めきれないんです。オーディションで『はい、さようなら』と言われたわけではなくて、監督から『もう一度、会いたい』とか言われていましたから。でも最後は『英語が不安だ』と言われてしまう。今なら日本語の訛りもかなり受け入れられていますが、当時は日本人がアクセントのある英語を喋り出したら観ている人に拒否されると思われていたんです」
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1998年の「GODZILLA」でハリウッド映画初出演
北野武監督の映画、「BROTHER」に出演
アメリカでの撮影を行いました。
加藤雅也さんはハリウッドから日本に活躍の舞台を移し、一気に演技の幅を広げていきました。
加藤雅也、七変化。#望み#彼女は夢で踊る#さくら pic.twitter.com/S28ILI0iYa
— Ados (@ados_sakiso) November 15, 2020
は作品の大小を問わずに精力的に出演を続けています!
大小は関係ないです。とりあえず面白いなと思ったら出るようにしています。
出典元:NEWポストセブン
これは時間との勝負です。しかし、一日は二十四時間しかありません。あと二十年やれたとして、七十七歳です。健康を維持しつつ俳優をやれるのは七十までとすると、あと十三年しかありません。一年に十本やったとして、百三十本しかできません。でもその間に、勘九郎さんは何本やっているのか、芝居にどれほどの時間を費やしているのか──。この四年の間に、さらにその数の差は広がっているわけです。だから、追い抜くことは絶対にできません。
出典元:NEWポストセブン
これからも多くの作品で加藤雅也さんの活躍をみることができそうですね!!
出典元:NEWポストセブン
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