テレビみてるんだから
残念ながら2018年、西城秀樹さんは脳こうそくで闘病されていましたが63歳の若さでお亡くなりになりました。
若い頃の西城秀樹さんは大変な大スターでした!そんな若い頃の姿をかっこいい画像でイケメンぶりを再確認しました!
西城秀樹さんの若い頃、画像で紹介
西城秀樹さんはこどものころから音楽に親しみ、不良で有名だったようです。
西城秀樹さんの若い頃、広島県広島市で生まれる
西城秀樹さんは、本名、木本龍雄(きもとたつお)、1955年4月13日に広島県広島市で生まれました。姉・兄と秀樹さんの3人兄弟でした。
父親は自動車の製品を扱うお店を経営おり裕福な家庭だったようです。ジャズギターが趣味だった父親の影響で幼少期から洋楽にふれていて、ジャズスクールに通って、最初はエレキギター、その後ベース、次いでドラムを勉強しました。
小学3年生の時、最初にファンになったのはジェフ・ベックでした。
小学生の時、ロックバンドを結成!
小学4年生の時に兄とエレキバンド「ベガーズ(beggars)」を結成しています。このバンドではドラムを担当していました。1960年代ですから、世間はまだ演歌の時代。ロックはまだ珍しかったと思います。
#吉田拓郎 のバンド、ダウンタウンズの演奏で初対面にも拘わらずサティスファクションを歌う小学6年、声変り前の #西城秀樹 少年。
「ワシらベガーズ言います。ボーカルやっとります」https://t.co/OQ9l58enD3 pic.twitter.com/zv5gtbSxyA— 西城秀樹が夢の男 (@hsmydream) March 1, 2019
西城秀樹さん中学で、リードボーカルに
「ベガーズ」からメンバーを入れ替えバンド名を「ジプシー」に、西城秀樹さんはリードボーカルを担当します。
このバンドでヤマハライトミュージックコンテスト第一回、第二回に出場し、中国大会で優勝しています。
西城秀樹さんの若い頃、喧嘩三昧の少年時代
西城秀樹さんは子供のころから結構なワルで喧嘩ざんまいでした。
中学校では縄張り争いを繰り広げ「売られた喧嘩で負けたことはいっぺんもない」と豪語しています。
素行は大変悪く、無免許で単車を乗り回しお巡りさんに何度も油を搾られました。
一緒に単車を転がした友人は、西城がデビューした翌年単車事故で死んでいます・・・
西城秀樹さんの若い頃、父親の猛反対を押し切り上京
芸能界にスカウトされたとき、頑固で厳格な父親は猛反対。その反対を押し切り、高校一年の二学期途中の1971年10月3日、家出同然で広島から夜行列車で上京しました。
東京では芸能事務所「芸映」に所属。明大中野高等学校定時制へ転校することに・・・広島では12畳の部屋に一人で住んでいたが、3畳もない三角部屋にマネージャーと二人で住んで芸能界にはいりました。
西城秀樹さんの若い頃、17歳で芸能界デビュー、懐かしい動画も!
1972年3月25日、「恋する季節」で歌手デビューしました。
西城秀樹 恋する季節
ヒデキが着るとカッコイイ!
デビュー当時の映像かな? pic.twitter.com/igbceS2Bpk— はるるん (@karahaharu) July 3, 2018
西城秀樹の『恋する季節』も声が若くて可愛くて好き。子供の頃は西城秀樹の声がハスキーとかってあんまり思ってなかったんだよねー。大人になって声が低くなったよね。低音、好き。
— 直 (@naobandi) June 1, 2018
この曲は、まだ西城秀樹さんのアクションもなく、オリコンでも42位。順風満帆なスタートではありませんでした・・・
西城秀樹さんの若い頃、「情熱の嵐」が大ヒット!懐かしい動画も!
出典元:週刊女性
1973年には「情熱の嵐」が大ヒット!初のベストテン入りしました。立て続けに「ちぎれた愛」「愛の十字架」がヒット。オリコン一位を獲得しました。
出典元:週刊女性
出典元:週刊女性
出典元:週刊女性
出典元:週刊女性
今までになかった、絶唱型といわれる歌い方で人気が出ました!
出典元:週刊女性
1973年のレコード大賞歌唱賞を受賞しましたが、NHKの紅白歌合戦には出場できませんでした。当時の西城秀樹さんのアクションや歌唱スタイルに批判も多かったようで、NHKで放送できなかったともいわれています。
出典元:週刊女性
★発掘・懐かし動画★
1973年発売の西城秀樹さん5枚目のシングル。たかたかしさん作詞、鈴木邦彦さん作曲。オリコン週間6位。「君が望むなら」に「ヒデキ~」のコールが定番曲名:情熱の嵐
歌手:西城秀樹気に入ったらぜひリツイートを
昭和の歌が好きならフォローをhttps://t.co/bbYGJMt0kZ pic.twitter.com/fy6mgyNH1A— ノスタルジック発掘隊 (@Hideki_Kameido) October 20, 2019
西城秀樹さんの若い頃、かっこいい姿にファンが激増
今までになかった、アクションと歌唱スタイルで女性ファンを中心に大人気となっていきます。
1974年にはテレビドラマ「寺内貫太郎一家」にレギュラー出演。松竹映画「愛と誠」では映画初主演しました。
西城秀樹さん訃報のニュースで急に思い出した。『愛と誠』の実写映画、第一作の愛も誠も亡くなってしまった。2010年に亡くなった早乙女愛さんも綺麗な女優さんだったな。。。 pic.twitter.com/6OHEzm7rmt
— JUNICHI@是空®LLC. (@piedpiperagogo) May 17, 2018
出典元:IRONNA
西城秀樹さんの若い頃、「傷だらけのローラ」で紅白歌合戦に初出場!懐かしい動画も!
1974年、「傷だらけのローラ」が、『第16回日本レコード大賞』で歌唱賞を受賞します。
これによりポップス歌手としては史上初となる2年連続受賞、『第25回NHK紅白歌合戦』にも初出場しました。
西城秀樹 傷だらけのローラ https://t.co/6l3hmQtXeg @YouTubeさんから
— イザベル (@909BX09) January 11, 2020
出典元:週刊女性
西城秀樹さんの若い頃、ヤングマンが大ヒット!懐かしい動画も!
1979年1月、大阪・厚生年金ホールにて新春コンサートを開催。そのとき「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を唄い、「Y.M.C.A.」の4文字を全身で表現するパフォーマンスを披露しました。「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」は2月21日に発売され、売り上げ80万枚の大ヒットとなり、年間シングルチャートでも第7位にはいりました。
思い出の曲を歌う 西城秀樹さん
ヤングマン pic.twitter.com/OCgMmuya3D— まっくん (@akihiko121791) December 11, 2020
西城秀樹さんの若い頃、恋人は?
西城秀樹さんは、同世代の女性とは話が合わなかったりして深い付き合いはなかったようです。有名なのは、十朱幸代さんとのお付き合いで12歳差の年の差カップルでした。
十朱幸代さんとの関係は別の記事でまとめましたのでごらんください。
その後、45歳の時に、19歳年下の美紀さんと結婚されています。結婚後すぐに脳こうそくを患ってしまいましたが、3人の子供さんを育てられました。
西城秀樹さんの、脳こうそくとの闘いは別記事でまとめました・・・早すぎる死が残念でなりません・・・