日本が世界に誇る映画スター、高倉健さんの若い頃から全盛期の活躍を画像で振り返ります。エピソードもご紹介します。
任侠映画で大スターとなりましたが、その後さまざまな役を演じていきました。
高倉健さんの妻であった江利チエミさんについては、別の記事で書いていますので参考にしてください。
デビュー前の高倉健さん
1931年、福岡県中間市の裕福な家庭に生まれました。
出典先:https://hayarinikki.blog.so-net.ne.jp
父親は旧海軍の軍人で、炭鉱夫のまとめ役をしていたようです。
炭鉱町で乱暴な土地柄で殺人もよくあったとのことで、やくざ映画の役作りにも生まれ育った土地柄、気風が影響していると話しています。
おとうさんも貫禄がありますね。
先祖は鎌倉時代の執権北条家一門である名越氏の北条篤時。
子孫が西国に移り大内氏に仕えた後、北条の名を捨て『小松屋』の屋号で両替商を営み、後に黒田官兵衛を藩祖とする筑前国藩主・黒田家から名字帯刀を許されて小田姓を名乗ったそうです。(本名は小田剛一)
母親は教員でした。幼少期の高倉健さんは肺が悪く虚弱だったが、中学時代からボクシングに興味を持ち6勝1敗の成績でした。
英語にも興味をもち、高校時代はESSを創設。
福岡県立東筑高等学校から、明治大学商学部に進学。貿易商を目指していました。学業も優秀だったようですね。
明治大学卒業後、九州に帰って父親の仕事を手伝いますが、「このまま埋もれてしまうのもいやだ」と思い、上京しました。
スカウトされて東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社。
俳優志望ではなかったものの、採用されてからすぐに主演デビューが決まっていきました・・・
デビュー当時の高倉健さん
プロフィール
- 本名:小田 剛一(おだ ごういち)
- 生年月日:1931年(昭和6年)2月16日
- 没年月日:2014年(平成26年)11月10日(83歳没)
- 出生地:福岡県中間市
- 身長:180㎝
- 血液型:B型
- 配偶者:江利チエミ(1959年(昭和34年)~1971年(昭和46年))
高倉健さんのデビュー作は1956年(昭和31年)東映「電光空手打ち」
デビュー作で、いきなり主役に抜擢されました。
その後、アクション・喜劇・刑事・ギャング・青春もの・戦争・文芸作品・ミステリなど、幅広く現代劇映画に主演・助演していきますが、期待されたほどのヒットとはなりませんでした。
任侠映画で新境地を開く
1963年「人生劇場 飛車角」で高倉健さんは準主役に抜擢され、任侠映画のスターとしての足掛かりをつかみました。
1964年(昭和39年)「日本侠客伝」で主演し、やくざ役としてのイメージが定着しました。
1965年から始まる『網走番外地』に主演し、主題歌の「網走番外地」がヒットしました。
『昭和残侠伝シリーズ』などに主演し東映の看板スターとなります。
主題歌、「唐獅子牡丹」も大ヒットしました。
任侠映画で大スターとなりましたが、その後さまざまなジャンルの映画に出演していきます。
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任侠映画からのステップアップ
任侠映画のスターから、様々な役に挑戦することで演技の幅が広がっていきました。その第一弾が1975年(昭和50年)「新幹線大爆破」でした。
高倉健さんは主役で犯人役の、沖田哲男を演じ、これまでとは大きく異なる役柄を演じました。
従来のイメージを一新する作品となり、ヨーロッパでも大ヒットしました。
その後、東映を退社後、1976年(昭和51年)「君よ憤怒の河を渉れ」で、主役の東京地方検察庁刑事部検事・杜丘冬人を演じました。
1977年には「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」とヒット作に出演しています。
この作品で第1回日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞と、第20回ブルーリボン賞の主演男優賞のダブル受賞に輝きました。
この後も様々な役柄を演じていくことになります。
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1989年には、降旗康男監督『あ・うん』で17年ぶりに銀幕復帰を果たした富司純子さんと共演。
向田邦子さん原作で高倉健さんの主演映画でもあり、富司純子さんがヒロインを務めるということでも大きな話題になりました。
まとめ
高倉健さんの家系・生い立ち・デビューから全盛期の活躍をみてきました。
出演作も多く網羅しきれませんが、存在感のある役者さんでしたね。