江利チエミさん 高倉健さんとの離婚の理由は?死因は脳卒中?

江利チエミ
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美空ひばり・雪村いずみとの3人娘で活躍した江利チエミさんは、高倉健さんと結婚していましたが、後に離婚されました。高倉健さんとの離婚の理由は複雑なものがあったようです。また、早くして亡くなっていますので死因についても調べてみました。

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江利チエミ

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江利チエミさん 高倉健さんとの離婚の理由は?

複雑な原因があったようですが、今回調べてみました。

江利チエミさん 高倉健さんと結婚

1959年(昭和34年)、ゲスト出演した東映映画での共演が縁で高倉健さんと結婚しました。

江利チエミ高倉健結婚

結婚したら歌はやめると決めて家庭に入るものの、1960年(昭和35年)に本格的に復帰。

高倉健さん、江利チエミさん

新婚当時(1959 年)

高倉健さんと結婚した3年後の1962年、江利チエミさんは妊娠し子供を授かりますが重度の妊娠高血圧症候群(この当時は「妊娠中毒症」と呼ばれていた)を発症し、中絶を余儀なくされ子宝には恵まれませんでした・・・

江利チエミさん

江利チエミ(1963年撮影)

江利チエミさんの義姉Y子とのトラブルとは?

高倉健さんとの離婚の原因は、江利チエミの義姉Y子(異父姉)による横領事件などのトラブルにより、高倉に迷惑をかけてはならない、と1971年(昭和46年)に江利チエミさんから高倉健さんに離婚を申し入れたという話です。

離婚の原因となった義理の姉Y子とはどんな人物だったのでしょうか?

名古屋で家庭をもって暮らしていたY子は、さまざまな事情から母(チエミの実母・谷崎歳子)と幼くして生き別れになっていましたが、ある日「スター歌手、江利チエミ」が自分の妹(異父妹)である事実を知りました。

1965年ごろ(昭和40年)、Y子は「離婚して経済的に困窮している」として家政婦・付き人として江利チエミさんに近づき家に住み込みました。

身の回りの世話を手伝いながら徐々に信頼を得ていき、最終的には江利チエミさんの実印を預かり経理を任されるまでになりました。

江利チエミさんを襲うさらなるトラブル、現金横領と不動産トラブル

1969年(昭和44年)、Y子はあやしい知人にそそのかされて、三回に分けて800万円を江利チエミさんに無断で投資してしまいます。ここからY子の犯行ははじまります。

最終的に現金の横領金額は1億8000万に及びます。

うち本人が8000万を着服した形でしたが、残りの1億は金融業者に流れたといわれています。

さらに1971年(昭和46年)・・・小田智恵美(離婚前の江利チエミさんの本名)名義の手形で1,700万の金を借りいれます。

利息に追われると今度はその利息分を金融業者に融資を依頼しました。

その業者にY子は、千駄ヶ谷の久保家(実家)の土地建物の登記簿を渡してしまうのです。

事件が公になる前に「江利チエミ名義の不当たり手形が出回っている」といううわさが広まっていたそうです。

このままでは、夫の高倉健にたいへんな迷惑になると考えた江利チエミさんは離婚を決意します。

江利チエミさん、高倉健さんと離婚

まだ、借金のトラブルが公になっていなかったので、「江利チエミが高倉健に離縁状!」といった形の報道がされてしまいました。

江利チエミさんが、高倉健さんと離婚したばかりのころ、高倉健さんのところに電話をかけてきたという。

<「健さん、もう一度、一緒になれないかしら」と言ってきたことがあった。そしたら健さんは「一度別れるって新聞で発表したんだから、いまさら戻るわけにはいかんだろう」と。
健さんは、自分にも他人にも厳しい人。チエミちゃんに諭すようにこう言ったんです。「おまえがいくら謝っても……。もっと……もっと早くに、なんでそう考えなかったんだ。こうなった以上は、もう一緒になれない。戻れない」>

出典元:J-castニュース

高倉健さんは離婚後も江利チエミのことをずっと愛していたといわれています。

撮影所の楽屋でチエミの「テネシー・ワルツ」を黙って聞いていることが何度もあったという。

江利チエミさん 負債をすべて背負い、後に完済

Y子は事件発覚後も容疑を否定し、女性週刊誌や婦人誌などで反論するとともに、江利チエミさんへの誹謗中傷や家庭内の暴露を展開し、挙句は失踪、自殺未遂騒動まで引き起こすなどのトラブルを立て続けにおこしています。

多額の負債を負った江利チエミさんは自己破産をせず「責任は自分でとる」と決意し、断腸の思いで異父姉を告訴。

2億円とも4億円とも言われた動産の被害、不動産担保を地方営業などをこなしながら1人で完済しました。

江利チエミさんとY子の関係は?

Y子は昭和8年4月に名古屋のN尋常小学校に入学します。

この学区は繁華街から程近く、東京で言えば麹町の番町小学校・・・といった裕福な商家の多い地域でした・・・

しかし彼女の家は芸者置屋さんに出入りして着物のつくろいをして生計をたてる貧しい家庭でした。

しかし、Y子は家業の手伝いもしながら決して卑屈なことろはみせない成績も優秀で1年~5年生まで級長を務めるような子供で、学芸会の演劇や、物語の読み聞かせが得意な少女だったようです。

彼女の育ての母はとても人柄のいい人間であったが、Y子が6年生の時に早世します。

そして貧しいがゆえに女学校には進学できない・・・そんな事情から急に成績は落ちていった・・・と(級友の証言より)。

そして育ての母から亡くなる前に「あなたの本当のお母さんは旅芸人だった」と聞かされます。

江利チエミさんの母親は、有名なスター歌手だった

チエミさんとY子の実母、谷崎歳子さんは「東京少女歌劇」という大正末期から昭和初期に流行した「少女歌劇」という名のレビュー劇団のスターでした。

その劇団の座長格だったSという俳優と結ばれ巡業中にY子を生みますが、谷崎歳子さんはS氏とは別れ、楽団長であった久保益雄さんと結婚し新たな家庭をつくります。Y子は養女に出されることに・・・

Y子は小学校(高等科)を卒業後、当時は難関であった電話局に市外通話係として2年勤務した後に昭和18年に退社、鉄工所の女工に転職。

また、愛知県西春村の児童疎開の炊事婦に転職、終戦は養父母の弟の家で家事手伝いをしている時に迎えます。

名古屋も大きな戦争による被害をこうむったことがこの転職につながったのか・・・

あるいはより高い給料を求めてのことだったのか・・・

昭和21年11月、Y子は腕のいい仕立て屋のY氏と結婚します。「腕に職のあるひとは喰うに困らない」・・・と。

江利チエミさんとY子の出会いは

Y子が「江利チエミ」に異常なまでの興味を持つようになったのは昭和28年7月のこと。
江利チエミの母が「東京少女歌劇」のスター「谷崎歳子」と知ったからです。
『あの歌手が私と血のつながりのある人間かも知れない』・・・と。

Y子は江利チエミさんの父に連絡をとり、面会に行きます。姉とは名乗らずにY子は父のはからいでチエミさんとも面会します。(当初2~3年の間、江利チエミさんはY子を「ファンのひとり」と思っていたそうです。

Y子が義姉と知るのはマネージャーでもあった長兄のトオルさんから聞いてからだったとか・・・)

名古屋市N区の市営住宅に暮らすY子の暮らしは決して豊かではなかった。夫は病弱で仕事がままならなくなっていきました。

夫婦には3人の男の子が居ました。保険の外交員、ライトバンを運転して地方への干物の行商までして家計を支えます。

しかし、それから10年・・・生活苦に追われた昭和40年の春、彼女は幼馴染の女友達Aさんを頼って「単身」で上京します。

AさんにY子は、「夫と別れて子供たちと東京に勤めたい」と相談します・・・

Aさんはご主人のツテでY子の長男を臨床検査技師の見習いをしながら定時制高校に通うように計らってあげます。

そしてY子は久保家・江利チエミさんを頼って、下の子供2人を伴って住み込みで家政婦として働かせてもらうことに・・・

江利チエミさんは、瀬田の邸宅の敷地に彼女たちの住まう「離れ」をつくり迎えいれました・・・

それが不幸な事件の始まりだったのです・・・

江利チエミさんの経歴は?

  • 1937年1月11日生まれ
  • 本名 久保 智恵美
  • 東京市下谷区生まれ

江利チエミと兄弟

江利チエミさんの父親は有名な音楽家だった

父・久保益雄はクラリネット奏者であったが、軍事徴用の工場で指先を痛め、以降ピアノ奏者に転向しました。

江利チエミさん父
音楽的な才能に恵まれていたようです。

智恵美が生まれたころはバンドマスターをしていたようです。

その後、吉本興業の所属として三味線やピアノでの伴奏をしていました。

母親は、東京少女歌劇出身の女優、谷崎歳子。

のちに浅草の軽演劇の舞台に立ち、吉本興業に所属しました。

江利チエミ母
笠置シヅ子と共演したり、榎本健一とも映画で共演しています。

トップ女優として活躍していたようですが、智恵美を身ごもるころより身体を壊し、引退。そして45歳で他界しました。

久保益雄と結婚する前に、座長と結婚、一女をもうけるがその後離婚している。

この娘が江利チエミの義理の姉Y子である。

江利チエミさんの若い頃、歌手デビューは家族を支えるため

当時、父親は失職していて、母親は病床にあり、3人の兄がいました。

長兄は陸軍士官学校出身で英語も堪能なエリートだったが、戦後の価値観の変化についていけなかったようです。

父がマネージャー、長兄が付き人という形で江利チエミの芸能活動はスタートしました。
家族の生活を一身に背負っていました。

デビュー時の江利チエミ

疎開先の吉祥寺町で町のお祭りに笠木や岡晴夫の声色をやって喝采をうけたり・・・
昭和22年の暮れに父が離職して1年・2年、そろそろ貧乏風が家中に吹き始めた24年の暮に、12歳の久保チエミは渉外芸能人に仕立てられて進駐軍キャンプでお得意のブギを歌うことになる。
母親の名づけた江利(エリー)という芸名で父とキャンプ回りを・・・
(昭和27年3月23日、週刊朝日より)

レコード会社のオーディションにはなかなか受からず、最後にキングレコードに合格。

デビュー曲は、会社側の用意した曲を断り、テネシーワルツを吹き込んだ。

昭和27年、日本がようやく、戦争から立ち直ろうしていた時代だった。

ジャズ・ポピュラー・ラテン・シャンソン、ありとあらゆるカバーものを外国語と日本語で歌い、ヒットを飛ばします。

江利チエミ 原信夫
その後、「さのさ/おてもやん」など、東京キューバンボーイズとのコラボによる「チエミの民謡」や、「新妻に捧げる歌」などの歌謡曲、晩年は「酒場にて」といった演歌も歌いました。

「酒場にて」のヒットでようやく、負債を返済できたようです。

江利チエミさん、サザエさんのコミカルな演技も人気に

美空ひばり・雪村いずみとの3人娘として、音楽・映画で人気者になっていきます。

1956年、昭和31年、映画「サザエさん」第一作が公開されました。

主役のサザエさんを演じた、江利チエミさんは、コミカルな演技で新たな人気物になりました。

江利チエミ サザエさん
コメディ映画にも関わらず、江利ちえみさん主演なので、「サザエさんはジャズ好き」という設定で歌うシーンも挿入されました。

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晩年の江利チエミさん 死因は?

映画の『サザエさん』シリーズ(1956年から全10作が作られた)のヒット後も、後にテレビドラマ化(1965年-1967年)、舞台化されて当たり役となりました。

サザエさん

1963年(昭和38年)にはブロードウェイミュージカルの日本初演マイフェアレディに主演するなど、多方面で活躍していました。

江利チエミさん45歳の死

しかし、1982年(昭和57年)、江利チエミさんは港区高輪の自宅マンション寝室のベッド上でうつ伏せの状態で吐いて倒れているのをマネージャーに発見されました。

既に呼吸・心音とも反応が無く死亡が確認。

45歳没。

死因は脳卒中と、吐瀉物が気管に詰まっての窒息(誤嚥)によるものだった。チエミは数日前から風邪を引き体調が悪かったところにウィスキーの牛乳割りを呷り、加えて暖房をつけたまま風邪薬を飲んで寝入った事が一因とも言われていますが、今となってははっきりしたことはわからないでしょう。

突然過ぎる死に、親友だった「三人娘」の美空ひばりと雪村いづみ、他清川虹子や中村メイコらもショックを隠しきれずに号泣。

江利チエミさんの葬儀の席でも深い悲しみに暮れていました。

同じく親友の杉良太郎は死の前年9月、杉の主演ドラマ『大江戸桜吹雪、八千両の舞』(日本テレビ)に江利チエミさんがゲスト出演していたことから、驚きを隠せなかったといいます。

江利チエミさんの死後、高倉健さんは毎年の墓参りを欠かさなかったそうです・・・

江利チエミさん、高倉健さんとの離婚の理由は?死因は脳卒中?まとめ

江利チエミさんの人生を駆け足でたどってきました。高倉健さんとの離婚理由は江利チエミさんの親族とのトラブルが大きな原因だったようです。

借金を一身に背負って芸能活動を続けて借金を完済するなどの苦労が報われたのでしょうか?

早すぎる最後は本当に残念だとおもいました。

サザエさん

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