中井貴一さんの父親、佐田啓二さんの死因は交通事故だった!

中井貴一
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映画やドラマで活躍中の俳優、中井貴一さんですが二枚目で演技もすばらしいです。そんな中井貴一さんの父親はやはり有名俳優の、佐田啓二さんでした。昭和を代表する大スターの佐田啓二さんは若くして交通事故で亡くなるという悲劇に見舞われましたが、改めてふりかえってみました。

中井貴一さんのプロフィール

  • 本名 中井 貴一
  • 生年月日 1961年9月18日(58歳)
  • 出生地 東京都世田谷区
  • 身長 181 cm
  • 血液型 A型

中井貴一さんの父親、佐田啓二さんのプロフィール

  • 本名 中井 寛一
  • 生年月日 1926年12月9日
  • 没年月日 1964年8月17日(37歳没)
  • 出生地 京都府京都市下京区
  • 死没地 山梨県韮崎市
  • 身長 171.2cm

中井貴一さんの父親、佐田啓二さんはどんな人物だった?生い立ちは?

佐田啓二さんは京都市下京区の商家に生まれました。

京都市立第二商業学校(のちの京都市立西陣商業高等学校、廃校)卒業後、早稲田大学政治経済学部に入学。当時は大学進学率は数パーセントの時代。しかも早稲田ですから学業もたいへん優秀だったと思われます。

佐田啓二さんは学生時代、松竹の人気俳優佐野周二の家に下宿していた縁で、1946年、20歳の時、松竹大船撮影所に入社します。

中井貴一さんの父親、佐田啓二さんの代表作は?

芸名は、「佐野周二」の姓名から一文字ずつ譲り受けて名付けられました。

翌年1947年には木下恵介監督の『不死鳥』で、いきなり、大スター田中絹代の相手役に抜擢されます。

田中絹代とのラブシーンは当時大きな話題となり、早くもスター俳優の地位を獲得。

続いて、菊田一夫原作のNHKの人気ラジオドラマを映画化した『鐘の鳴る丘』に主演し、さらに人気を高めていきました。

そんな佐田啓二さんの人気を不動なものにしたのは、1953年に公開された『君の名は』です。当時の大人気ドラマを映画化したこの作品で岸恵子さんと共演し、名実共にトップスターの地位につきました。

中井貴一さんの父親、佐田啓二さんの家族は?

佐田啓二さんは、1957年に杉戸益子さんと結婚されています。杉戸益子さんは一般人ですが、撮影所の近くに住まれていて、小津安二郎監督とも知り合いだったそうです。

佐田啓二さん、杉戸益子さんの二人の間に、長女中井貴惠さん、中井貴一さんが生まれています。

中井貴一さんの父親、佐田啓二さんの事故の状況は?

1964年8月、佐田啓二さんは、長野県の信州蓼科高原の新築した別荘で夏休みを過ごすために滞在していました。

多忙だった、佐田啓二さんは家族を別荘に残して東京に戻ることに・・・その時悲劇がおきました。

通いなれた道だったが・・・

車は黒のトヨペット・クラウン。同乗者は運転手、義弟の新聞記者とその同僚。

佐田啓二さんは一番安全といわれる運転手の後ろの席に座るのが習慣でその日も指定席に座っていたそうです。

運転手や佐田啓二さんにとってはこの年、6、7往復している通い慣れた道のりでした。車は蓼科の山道を下り、国道20号(甲州街道)を順調に進み、朝6時半には山梨県韮崎市の塩川橋手前に到達。

ここで運転手は前方を時速40キロで走る個人タクシーを反対車線に出て追い抜きに。

そのとき運転手はハンドルを誤って車はスリップしてそのまま右に横滑りを始め、右の佐田が乗っていたあたりが橋柱に激突。

新車のクラウンの右半分は無残な状態になり、さらにこの衝撃で車は左にはね飛ばされ、追い越そうとした個人タクシーと衝突しました。

佐田啓二交通事故
出典元:産経フォト

すぐ下の河原にいた人がかけつけると、佐田啓二さんは激しい息づかいをしながらぐったり。頭から血を流し、右腕は不自然な方向にねじれていたといいます。やはり肩の骨を折った運転手は呆然として車を降りてうずくまっていました。同乗していた新聞記者2人もそれぞれ顔の骨折と肩の骨を負傷。衝突した個人タクシーも、軽傷者を出す大事故でした。

病院に搬送されるが・・・

佐田は救急車で韮崎市立病院に運ばれましたが、危篤状態。

頭部のダメージがひどく、頭蓋底が骨折していました。開頭手術を行うにも心臓の衰弱が激しく手を付けられず、11時に息を引き取った・・・

37歳の早すぎる死でした・・・

この時、中井貴一さんは2歳でした。

中井貴一さんの父親、佐田啓二さんの死因は交通事故だった?まとめ

佐田啓二さんは、中井貴一さんが2歳の時に亡くなっていますから、父親の記憶はないと思いますが、実力俳優になれたことは父親の血筋なのでしょうね。

これからも活躍ぶりを楽しみにしたいと思います。

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