70代の今も元気に活躍されている、橋幸夫さん
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ユーチューブでも自分のチャンネルを開設されて活躍されています。
若い頃は御三家といわれるほど絶大な人気を誇る歌手でした
そんな日本を代表するイケメン歌手、橋幸夫さんを振り返ります!
橋幸夫さんのプロフィール
- 出生名:橋 幸男
- 別名 風間 史郎 勅使原 煌
- 誕生日:1943年5月3日(78歳)
- 出身地:東京都荒川区
- 城西大学附属城西高等学校卒業
- 息子:俳優の橋龍吾
- 甥:演歌歌手の橋宏之(ひろゆき)
橋幸夫さんは1943年5月3日、東京都荒川区に呉服屋の9人兄弟の末っ子として生まれました。
「橋」という珍しい苗字は、先祖が代々滋賀県で神主を務めていたことに由来するといいます。
学生時代はボクシングに熱中し、プロテストを勧められたこともあり、
中学2年の頃、心配した母が遠藤実の歌謡教室に通わせたことが、歌の世界に入るきっかけとなりました。
高校1年でビクターエンタテインメントのオーディションに合格
橋幸夫さん、昭和35年レコードデビュー
1960年、昭和35年7月に「潮来笠」でビクターレコード(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)からデビュー、いきなりのヒットとなりました。
第2回日本レコード大賞新人賞を受賞し、『第11回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たしました。
『紅白歌合戦』には第11回から1976年の第27回まで17回連続出場、通算19回出場。
後にデビューした舟木一夫さん、西郷輝彦さんとともに「御三家」としてアイドル的な人気を集めました。
初代御三家ですね。
ちなみに新御三家は1970年代にトップ男性アイドル歌手として歌謡界を席巻した、郷ひろみさん・西城秀樹さん・野口五郎さんの3人を指します。
実はビクターからデビューする以前にコロムビアのオーディションに落ちており、もしコロムビアからデビューしていたら、舟木一夫という芸名になる予定だったらしいです。
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吉永小百合さんとのデュエット曲「いつでも夢を」が大ヒット!
1962年、吉永小百合さんとのデュエット曲「いつでも夢を」が100万枚突破となる大ヒットとなり、第4回日本レコード大賞を受賞。
吉永小百合さん
昭和38年「いつでも夢を」日活 pic.twitter.com/gMIfrgJ8mO— 美女びじょJapan (@bijyobijyojapan) August 20, 2019
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1966年、「霧氷」で再び第8回日本レコード大賞を受賞。
新人賞と大賞の2冠を達成しました。
1964年の『恋をするなら』ではエレキギターを導入し歌謡曲にモダンなサウンドを取り入れていました
美空ひばりさん、貫禄がスゴイですね。大御所のオーラが!
『花と喧嘩』主題歌「恋のパープル・レイン」
美空ひばりさんの歌はサラッと歌っているようですがさすがですね
聞き入ってしまいました!
橋幸夫さん、1971年にスチュワーデスと結婚!
二人の出会いは、橋さんがスチュワーデスだった凡子(なみこ)夫人とハワイに向かう日本航空の旅客機の中で知り合いました。
1970年に婚約。翌1971年1月に結婚し、長女・長男(橋龍吾)をもうけました。
凡子夫人はエッセイストやタレントとして芸能活動を行い、1982年4月から1985年3月までフジテレビ系ワイドショー『ワイドワイドフジ』の司会を担当していました。
お二人はおしどり夫婦として有名でしたが、2017年に熟年離婚されてしまいました・・・
1971年、「子連れ狼」が大ヒット!
元々は劇画「子連れ狼」のイメージソングとして制作されましたが
テレビドラマ『子連れ狼』の主題歌になったことで、お茶の間にも浸透。
トップ10入りするヒットとなり、第14回日本レコード大賞(大衆賞)、日本歌謡大賞特別賞他を受賞しました。
第3部の主題歌になったことで、お茶の間にも浸透。同じくトップ10入りするヒットとなり、第14回日本レコード大賞(大衆賞)、日本歌謡大賞特別賞他を受賞しました。
1980年代漫才ブームに乗って再ブレイク!
1980年代になって人気が下降気味になっていましたが、漫才ブームにのって人気が再燃!
清水アキラさんが「恋のメキシカンロック」のモノマネで人気が再燃
原曲は1967年、橋幸夫さんがまだ20代の頃の曲ですね。
当時、歌謡曲にラテンを取り入れるのがとても斬新だったようです。
清水アキラさんのモノマネはさすがですね。特徴をよく捉えています!ザ・ぼんちの潮来笠のモノマネででは首を傾けすぎと突っ込まれていました。
2013年、「あまちゃん」に本人役で出演!
「あまちゃん」がテレビでスタートしてから、息子から
「今回の朝ドラは本当に良く出来ているよ、ツボをちゃんと押さえてあって、結構深くて面白いから見た方がいいよ。“いつでも夢を”も流れてるし」
と言われて見始めたそうです。
そうしたところ、出演の依頼がきて歌唱することになったそうですよ
メキシコと言えばメキシカンロック。
メキシカンロックと言えば橋幸夫さん。
橋幸夫さんと言えばあまちゃん(笑)#メキシコ #橋幸夫 #あまちゃん #のんちゃん #能年玲奈 pic.twitter.com/rPcYKAh2xW— らりほ~(ラースキー?) (@popps_h) February 22, 2017
「いつでも夢を」が1962年、昭和37年の曲ですから初めて聞いた人も多かったでしょうね。
橋幸夫さんの若い頃、まとめ
橋幸夫さんのデビュー当時からを振り返ってみましたが、歌唱力が抜群なのはもちろん、エレキやラテンも歌謡曲に取り入れたり、新しいことに挑戦し続けていました。
スターであっても奢らないスタイルが長く続く秘訣なのかもしれませんね。
まだまだお元気に活躍する姿がみられそうです!
御三家の一人、西郷輝彦さん舟木一夫さんの若い頃のイケメンぶりは別の記事にまとめました