加賀まりこさんの若い頃はあまりの美しさに「小悪魔」「和製ブリジットバルドー」と呼ばれていたそうです・・・
どれほど美しかったのでしょうか?
この目で確かめてみるしかありませんね!
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加賀まりこさんプロフィール
- 本名:加賀 雅子(かが まさこ)
- 生年月日:1943年12月11日(76歳)
- 出生地:東京都神田区小川町(現千代田区神田小川町)
- 出身地:東京都新宿区神楽坂
- 一橋中学
- 明星学園高等学校
- 身長:156cm
- 血液型:O型
生い立ち
東京都神田区小川町(現:千代田区神田小川町)に生まれました。
祖父の加賀卯之吉は、ジャーナリストで衆議院議員でした。立身出世の人物で自ら新聞社を創設されたそうです。
父・加賀四郎は加賀卯之吉の庶子として生まれました。映画会社大映のプロデューサーとして知られています。
加賀まりこさんは、小学生の時分より隣町である神田神保町の古本街に通い、澁澤龍彦翻訳の「マルキ・ド・サド選集」を愛読。
小さい時から思ったことは何でも口にする歯に衣きせぬ毒舌だったといいます。
また映画で見た、オードリー・ヘプバーンの髪型にするため1人で美容院に行くほどの早熟な子供でした。
中学校時代には陸上競技を行っており、2年時には走幅跳で都大会で優勝しています。
高校生になると行動範囲は広がり、六本木や麻布界隈で飯倉の高級イタリアレストラン「キャンティ」に学生服のまま通っていたそうです。
キャンティでは安井かずみさん、コシノジュンコさんらと親しくなりました。
キャンティはレストランでしたが、文化人のサロンのような場所でした。
また、キャンティのママの自立した生き方に強い憧れを抱いていたそうです。
キャンティ創業者の川添浩史の息子で、風吹ジュンさんの元夫の川添象郎さんの記事はコチラ

芸能界デビュー
千代田区の一橋中学を経て明星学園高等学校に入学。
同校在学中の1960年、通学姿を見初めた篠田正浩さんと寺山修司さんに路上でスカウトされました。
路上でスカウトされるというのがスゴイですね。
親族に映画関係者が多かった、加賀まりこさんですが当時あまり興味はなかったそうですが父親に相談したら
あなたでお役に立つなら、やってあげなさい。
とアドバイスされて
1962年「涙を、獅子のたて髪に」で映画デビューをしました。
『月曜日のユカ』が社会的にも話題に
中尾彬、山本陽子らと共演した主演映画『月曜日のユカ』は、加賀まりこさんの代表作の一つになりました。
映画の予告編とは思えないしっかりした映像ですね。
中尾彬さんもカッコイイ!
加賀まりこさん、休業し単身パリへ
20歳の時、次々に舞い込んでくる仕事と女性週刊誌がイメージだけで書く記事に嫌気がさして単身パリに渡りました。
パリではイヴ・サン=ローラン、フランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワーズ・サガンなど社交界の人々と交流を深めました。
パリから帰国後、劇団四季の舞台に出演
国際電話で演出家・浅利慶太から舞台出演の打診をされ、帰国後、劇団四季の舞台『オンディーヌ』に出演しました。
これが連日大入りの大盛況となり、本格的に女優業に本腰を入れるようになりました。
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1966年の映画『坊っちゃん』では坂本九さん、三波伸介さん、大村崑さんと共演していました

GSスパイダーズのリーダーでドラマーの田邊昭知さんと共演
GSブーム全盛のときですね。これは珍しいです。
映画の中ではスパイダーズの楽曲も使われたようです
1972年には当時若者に大人気だった作家の庄司薫さんの原作【白鳥の歌なんか聞えない】に出演しています
加賀まりこさんの出演CMを探してみました
1965年の明治チョコレートのCM、加賀まりこさんが22歳のときですね
ライオン歯磨きのCM、1960年代の雰囲気がありますね
加賀まりこさんの若い頃 まとめ
若い頃の加賀まりこさんは和製ブリジットバルドーと呼ばれていたそうです。
吉永小百合さんや岩下志麻さんのような上品なかわいさではなくて、小悪魔的な色気をもつ女優だったので役柄もそのようなものが多かったですね。
70代になった今もオーラは健在ですね。これからの活躍も楽しみです。