1930年代生まれ

加山雄三さんの若い頃、生まれついての冒険野郎だった画像を発見しました

加山雄三

加山雄三さんは二世俳優として不自由なく育ちながら、若い頃に生死をさまようような事故を経験し、ビジネスでの失敗などの逆境をはねのけて大活躍されてきました。

そんな加山雄三さんの若い頃を振り返ります!

加山雄三さんのプロフィール

  • 本名:池端 直亮(いけはた なおあき)
  • 別名義:弾 厚作(だん こうさく)
  • 生年月日:1937年4月11日
  • 出生地:神奈川県横浜市
  • 出身地:神奈川県茅ヶ崎市
  • 茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校
  • 茅ヶ崎市立第一中学校
  • 慶應義塾高等学校
  • 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
  • 身長:175cm
  • 血液型:A型

加山雄三さんは有名俳優家族に生まれた

加山雄三さんの父親は戦前戦後を代表する二枚目俳優の上原謙(池端清亮)

上原 謙上原 謙

母親は女優の小桜葉子(池端具子)で明治の元勲・岩倉具視は曾祖父に当たります

小桜葉子小桜葉子

昔の500円札に岩倉具視が載っていました

岩倉具視

加山雄三、幼少期は病弱だった

1937年(昭和12年)に生まれると

神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷の家に生後8か月までいたあと

東京都大田区田園調布には1歳9か月までいました。

加山雄三さん 幼少期

幼少期に大腸カタルを患い病弱だったため、子煩悩な父・上原謙は、自然環境の良い神奈川県茅ヶ崎市へ引っ越しました。

加山雄三さん2歳の頃加山雄三さん2歳の頃

加山雄三さんはこの茅ヶ崎の家で結婚するまで過ごしました。

海と茅ケ崎駅の中間辺りにあって平屋の日本家屋だったそうです。

お手伝いさんは必ず2人いました。

加山雄三 実家
加山雄三さん12歳の頃加山雄三さん12歳の頃

茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校、茅ヶ崎市立第一中学校を卒業後

猛勉強の末、慶應義塾高等学校へ進学

慶應高時代にはボクシングやバンドなどを始め、また冬の季節になると海から山に興味関心が湧き移りスキーを始めました。

後の慶應大学時代の1959年には、スキーで念願の国体蔵王大会に出場しました。

加山雄三さんが高校時代は、アメリカではエルビス・プレスリーがデビューするなどロカビリーが流行していて、後にロカビリーバンドを組むことになります。

1955年、慶応大学法学部政治学科に入学

自作のモーターボート「ブレーブマン号」で台風の中を鎌倉まで行った帰途、岸の近くで船が転覆、ひっくり返った船がかぶさって溺れかかるところを、近くを通りかかった人にたすけられました、

1959年、22歳のときにスキーの国際大会に出場、大会終了後に崖から転落、切り株に腰を打ち、半月間静養することに・・・

りょうた
りょうた
加山さん、無茶し過ぎ!!

大学時代に仲間たちと小遣い稼ぎのためにバンド「カントリー・クロップス」を結成、サイド・ギターとボーカルを担当していました。

カントリー・クロップス

1960年、当初は芸能活動をするつもりがなく就職先としてアサヒビールや三菱商事などの就職資料を取り寄せて検討していました。

父親の上原謙のネームバリューを利用するつもりはありませんでしたが、友人から

映画で一旗揚げて船の資金を調達すればいい

という言葉にグラリときて会社員として就職するつもりで東宝へ入社しました

東宝へ入社して数年間は、茅ヶ崎から小田急成城学園前まで電車通勤していました。

“加山雄三“という芸名は、加山の母方の祖母(江間光子、芸名青木しのぶ)が姓名判断で縁起のいい芸名をつけたということです。

『独立愚連隊西へ』で映画初主演

岡本喜八監督の独立愚連隊シリーズ第2作。

歌手デビュー前の加山雄三さんが初主演

独立愚連隊西へ 独立愚連隊西へ

北中国戦線で戦闘に敗北し失われた軍旗を捜索する話。独立愚連隊はすでに公式記録では戦死とされた兵士によって構成された架空の部隊で、本隊とは違う人情と信義の共同性を保持している。「軍旗」という、虚構のシンボルのために多くの人間が命を賭けるという理不尽さを浮き彫りにしています。

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1961年、『夜の太陽』で歌手デビュー

中村八大作曲の当時流行の歌謡曲で、当時は石原裕次郎さん主演の日活映画が大人気だったので、この路線になったのかもしれません

石原裕次郎
石原裕次郎さん若い頃のスタイルがイケメンすぎる!画像と映像でふりかえります昭和の大スター、石原裕次郎さんが亡くなられてから30年以上たちますが、若い頃はどのような活躍をされていたのでしょうか? 若い頃のスタイルがイケメンすぎてドキドキしますよ! 兄の石原慎太郎さんとの関係、デビューのきっかけについてもご紹介します。...

若大将シリーズで大ブレイク

歌手デビューと同年に人気シリーズとなる若大将シリーズの第一作『大学の若大将』が上映

大学の若大将

星由里子さんと共演していました

老舗のすきやき屋“田能久”の一人息子、若大将こと田沼雄一(加山雄三)の恋・音楽・スポーツのキャンパスライフを描く。

京南大学水泳部のエースの雄一は、偶然知り合った美人OL澄子(星由里子)をダンス・パーティーに誘う。淡い恋物語です。

加山雄三さん主演の若大将シリーズは1971年の「若大将対青大将」まで約10年で17作品が制作されました

若大将のライバルとして、田中邦衛さん演じる“石山新次郎“こと青大将が登場。大企業の社長の息子でいつも若大将に対抗意識を抱いています。

エレキの若大将エレキの若大将

ちなみに“石山新次郎“という役名は石原慎太郎・石原裕次郎兄弟を、もじったものでした。

 

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田中邦衛
田中邦衛さんの若い頃の活躍を画像で振り返ります個性派俳優でおなじみの田中邦衛(たなか くにえ)さんは多くの作品に出演されていますが、 1981年のテレビドラマ「北の国から」で厳...









 

加山雄三さん、ホテル事業に失敗多額の負債を抱える

人気絶頂期の1965年、神奈川県茅ヶ崎市にリゾートホテル、パシフィックホテル茅ヶ崎を開業

上原謙さんと加山雄三さんが共同オーナーとなりました

開業当初は著名人が多数訪れたことで有名となりましたが・・・

思うように業績が伸びず、1970年に倒産

多額の負債を抱えることになりました。

若大将シリーズも終了し、映画出演も減少、ナイトクラブやキャバレー回りをするも、ギャラはほぼ全額借金の返済に充てられこれまでにない質素な生活を強いられました

加山雄三さん、逆境を乗り越えてテレビで活躍!

しかし借金も10年で完済し、その後はテレビを中心に活躍していくようになります。

バラエティ番組にも積極的に出演し持ち前の明るいキャラクターと育ちの良さで人気者になっていきました。

が・・・しかし

加山雄三さん、スキー場閉鎖で多額の負債を抱えてしまう!

1991年、新潟県南魚沼郡湯沢町に、総工費100億円といわれる「加山キャプテンコーストスキー場」をオープン

しかし、スキーブームは下火になり、バブル崩壊の長期的な景気低迷で赤字続きだったところに2011年の震災で閉鎖することに・・・

またも多額の負債を抱えてしまいます

すず
すず
加山さん、もうやめて!!

スキー場には20年で数十億円つぎ込んで、返済には家や大好きな船も手放したそうです。

しかし、何度も逆境を乗り越えてきた、加山雄三さんは多額の負債を無事に返済しています。

マメな営業活動やテレビ出演、ライブショーなどを行い、

「CR加山雄三」というパチンコ台のイメージキャラクターまで務めて稼ぎました。

結局、借金して苦労すると責任感が強くなる。人間、逃げたら終わりだからね。

試練だと思って、“何クソ!”って土下座してでも乗り越えないと。逃げたらダメ!それがパワフルに、エネルギッシュに生きるコツなんだ。

結論、加山雄三さんは若い頃からずっと冒険野郎だった!

何不自由ない、スターの家に生まれ育ち、スポーツや音楽の才能に恵まれていながら

そんな待遇に甘えることなくパワフルな活躍をみせてくれる加山雄三さんにはとても励まされます!!