1930年代生まれ

仲代達矢さんの若い頃、黒澤明監督との確執とは?

仲代達矢

2020年12月13日、88歳になられた仲代達矢さん

 

2020年、映画「帰郷」に主演され、現在も第一線で活躍されています。

 

役者の鏡のような人で「無名塾」の主宰としても有名ですね。

しかし、実際に仲代達矢さんの全盛期の演技がどれだけすごかったのか、調べてみました。

 

 

 

 

仲代達矢さんのプロフィール

  • 本名:仲代 元久(なかだい もとひさ)
  • 生年月日:1932年12月13日(88歳)
  • 出生地:東京府東京市目黒区(現・東京都目黒区)
  • 身長:178 cm
  • 血液型:B型

 

仲代達矢さんの父親は、茨城県の農家出身で京成電鉄のバス運転手

母親は五反田小町と呼ばれた薬局の看板娘でした

 

東京市目黒区五本木に生まれましたが父の転勤により千葉県津田沼に転居

 

小学校2年生の時に父親が死去し、東京都世田谷区瀬田に移り住み、用賀の小学校に転校。

 

やがて一家で青山の弁護士事務所の留守番をすることに・・・

 

青山の青南小学校に転校しますが、父親を失った仲代達矢さんの一家は極貧状態で弁当のおかずもなく、母親は教師から

 

「ここはあなた方のような貧乏人が来る学校ではない」

 

とののしられたといいます。

 

戦時中は母を青山に残したまま調布市仙川の寺に疎開していました。

 

1945年、青山の弁護士の弟が教頭をつとめる東京都立北豊島工業学校に入学するが

 

空襲が激しいため通学を断念し、ここを中退して東京都立重機工業学校を卒業、敗戦を迎えました。

 

親戚や弟と共にポン菓子屋、中華そば製麺所を起業、世田谷区立烏山中学校の用務員なども務めながら東京都立千歳高等学校定時制を卒業。

 

高校卒業後、戦後不況の中、定職に就けず、大井競馬場で鑑札を持たない違法な予想屋を取り締まる警備員をしたり、学歴不問ということでボクシングの三回戦ボーイの職にありつくなどしながら、大好きだった映画館・芝居見物に通う日々・・・








仲代達矢さんの若い頃、俳優座に入所、役者の道へ

 

そんな中、俳優座公演を観劇した際、千田是也の演技に感銘を受け、1952年(昭和27年)、俳優座養成所に第4期生として入所。

千田是也 千田是也

 

俳優座同期生には宇津井健さんがいました。

 

仲代達矢さんはバーで働きながら役者修業に励みましたが、この頃、俳優座へ通うための電車賃を節約するために徒歩で移動し、毎日同じ服を着て、人とはあまり話さず、目だけが異様な光を帯びていたといいます。

 

 

 

仲代達矢 俳優座俳優座養成所の仲間と(前列右端から2人目が仲代さん)

 

仲代達矢さんの若い頃、黒澤明監督との確執とは?

 

養成所時代に『七人の侍』(1954年)で、セリフなしの浪人役をつとめて映画デビュー・・・

しかし

 

君の名前は   仲代・・・ナカヨ・・・というの?と黒澤監督
いえ  ナカダイ  です。

 

養成所から仕出しで派遣された数秒間のエキストラ出演だったものの、この出演で時代劇の歩き方ができなかった仲代達也さんは監督・黒澤明をいら立たせ、

 

「俳優座では歩き方も教えないのか」

 

と罵られ、ワンカットに朝の9時から午後3時までの半日がかりの撮影となってしまい、最終的に「いいや。OK」となった。

 

仲代達矢 7人の侍仲代達矢さん 7人の侍

 

300人の前で何度もやり直しをさせられる屈辱感・・・・・・・・・
茫然自失、頭の中は真っ白、
私は歩き続けた・・・・・・・・・・・・・・・・・と仲代達矢は書いている。

 

 

黒澤明監督はこのことをすぐ忘れたらしいが、仲代達矢さんにとって強烈な思い出となり、これが映画俳優のスタートとしてしばしば引き合いに出されるエピソードとなりました。

 

 

1955年(昭和30年)、養成所を卒業(前年既に初舞台)、俳優座に入団した。芸名の「達矢」は射手座生まれにちなんで「的に達する矢のごとく」と異母姉が命名。

 

同年秋の公演『幽霊』で抜擢された。この『幽霊』を見た女優・月丘夢路の推薦で、月丘の夫である映画監督・井上梅次から依頼が舞い込みという大役をつとめ、

映画の本格デビューは、映画『火の鳥』

 

映画『火の鳥』(1956年、日活)で月丘夢路さんの相手役に抜擢。

 

火の鳥 月丘夢路 仲代達矢「火の鳥」月丘夢路さん 仲代達矢さん

 

翌年には映画『黒い河』(1957年)における冷酷なヤクザ・通称人斬りジョーの演技でも存在感を示しました。

 

 

黒い河 仲代達矢黒い河 仲代達矢さん

 

 

1957年(昭和32年)、俳優座所属の女優、宮崎恭子さんと結婚。

宮崎恭子さんは女優を引退、脚本家として活躍します。

 

 

仲代達矢 宮崎恭子 仲代達矢 宮崎恭子

 

1975年に仲代達矢さんとともに俳優を育成する「無名塾」を主宰することになります・・・

 

仲代達矢さんの若い頃、大作『人間の條件』に主演

 

1959年(昭和34年)から1961年まで六部で総上映時間が約10時間の『人間の條件』で主人公・梶に起用され

 

撮影が1年半に及んだこの作品で、仲代達矢さんは監督も感服する演技を見せました。

 

『人間の條件』では日中戦争を描いていますが、日本人の第二次世界大戦の記憶は対アメリカの戦争というイメージで語られることも多いですが、主戦場は中国・満州、そこでの争いが、日米開戦につながっていくわけでとても重要なのでしょうが・・・

 

自分もあまり知識がありませんね。

 

8月15日で終戦ということですが、満州にはソ連が侵攻していて戦争は継続・・・

 

シベリア抑留につながっていく・・・

人間の条件 仲代達矢

 

哀川翔さんの祖父も満州に新天地を求めましたが・・・悲惨な体験をしてしまいます・・・

 

哀川翔
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同年には犯罪者に扮した『野獣死すべし』も公開。

 

 

大藪春彦の原作を映画化した『野獣死すべし』は、

 

大藪春彦をデビューさせた江戸川乱歩が、

 

「伊達邦彦は仲代達矢しかいない」

 

と東宝に口を聞いてくれたそうです。

 








仲代達矢さんの若い頃、黒澤明監督からの誘いを断るが・・・

 

三船敏郎さんに対抗できる敵役俳優として、『用心棒』(1961年)の監督・黒澤明から出演依頼を受けました。

 

『七人の侍』出演時に黒澤明監督から散々NGを出された記憶もあって

 

「立派な役者になって、二度と黒澤組には出ない」

 

と心に決めていた仲代達矢さんは当初出演をきっぱりと固辞しますが・・・

 

その後、黒澤本人に呼び出されて説得されたため出演することにし、洒落者だが残忍なヤクザを演じました。

 

翌年の『椿三十郎』でも続けて起用され、今度は再び悪役ながらも剛直な武士を演じ、さすがの演技力で主役に劣らない人気となりました。

 

 

椿三十郎 仲代達矢さん 三船敏郎さん

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仲代達矢さんの若い頃、まとめ

 

仲代達矢さんの、デビュー前からスターへの道のりをみてきました。

 

恵まれない境遇から、演技を磨き一流の俳優へと成長する過程では、黒澤明監督との関係も大きく影響していることを初めて知りました。

 

「無名塾」を主宰している、俳優の大御所というイメージが強かったのですが、役者としての力量はすばらしいと感じました!