1930年代生まれ PR

芳村真理さんの若い頃は元祖カリスマモデルだった!画像で美しさを確認しました

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多くのテレビ番組の司会でお馴染みだった、芳村真理さん。

デビューはモデルからスタートし映画出演、そしてテレビの時代になり司会者として大活躍されました。

芳村真理さんの若い頃を振り返ってみました。

芳村真理さんのプロフィール

  • 名前:芳村 真理(よしむら まり)
  • 本名:大伴 稲(おおとも いね)
  • 生年月日:1935年4月3日(86歳)
  • 出身地:東京都中央区日本橋
  • 血液型:AB型
  • 学歴:東京都立西高等学校
  • 配偶者 ミッキー・カーチス(1962 ‐ 1964年)
  • 大伴昭(1968年 ‐ 2018年 )

芳村真理さんは1935年(昭和10年)に東京市日本橋区(現東京都中央区)で生まれました。

芳村真理さんの若い頃、モデルとして活躍

高校時代に都内のデパートでアルバイト。卒業後も働いてほしいといわれましたが、

どうせなら誰もやっていない仕事がしたい

と、銀座の山野美容会館(山野愛子)内に在ったモデルクラブへ所属しました。

当初はヘアスタイルのモデルとして新聞で紹介されたそうです。

芳村真理さん 21歳ごろ芳村真理さん 21歳ごろ

 

芳村真理さん 21歳ごろ芳村真理さん 21歳ごろ

 

当時、芳村真理さんは団令子さんなどとともに「ファニーフェイス」と呼ばれていて、庶民的なルックスが女性から支持され、人気だったようです。

週刊 アサヒ芸能 芳村真理
家庭全科 芳村真理昭和36年 家庭全科

 








1960年(昭和35年)映画女優として芸能活動を開始

1960年(昭和35年)、大島渚監督の誘いを受けて松竹「霧ある情事」で映画女優として本格的に芸能活動を開始。

以後、「黄色いさくらんぼ」、「喜劇駅前シリーズ」の脇役等、約80本の映画に出演しました。

『黄色いさくらんぼ』芳村真理『黄色いさくらんぼ』

 

『黄色いさくらんぼ』芳村真理『黄色いさくらんぼ』

 

芳村真理『黄色いさくらんぼ』『黄色いさくらんぼ』

 

『黄色いさくらんぼ』『黄色いさくらんぼ』

 

三上真一郎/芳村真理【血は乾いてる】三上真一郎/芳村真理【血は乾いてる】

 

『喜劇 大親分』長門勇 芳村真理『喜劇 大親分』長門勇 芳村真理

 

多くの映画に出演していましたが、女優の仕事に魅力を感じなったそうです

そんな頃に「小川宏ショー」のアシスタントの仕事がやってきて・・・

 

1969年「愛のささやき」芳村真理1969年「愛のささやき」

 

1962年、ミッキーカーチスと結婚

1962年に、『ザ・ヒットパレード』(フジテレビ)の初代司会者として共演した縁で結婚、1児をもうけたものの、1964年にわずか2年弱で離婚してしまいました・・・

ミッキーカーチス 芳村真理ミッキーカーチス 芳村真理

 

カッコイイ、当時若い子が憧れたのもわかりますね。

ミッキーカーチスさんの若い頃、画像がイケメンすぎた!!シブイ役者としても活躍されていて、倉本聰脚本の「やすらぎの郷」では往年のロックスターを演じていました。ミッキー・カーティスさんの若い頃はロカビリー歌手として大活躍されていました。そんな頃のイケメンぶりを振り返ってみました!...







芳村真理さん、司会業としてブレイク!

1966年(昭和41年)12月、フジテレビ系「小川宏ショー」の初代ホステスが産休のために降板、2代目ホステスとなりました

生放送のリアルタイムな仕事に魅力を感じて以後、女優業を休業し司会者へと転身。

一ヶ月ほどでテレビやラジオのレギュラーを全部整理して司会業に注力、NHKの大河ドラマの準主役の話も断ったそうです!

当初、番組制作サイドは「夜のイメージ」があるという理由で起用に難色を示していたそうです。

朝の番組ではまず珍しかったミニスカートを履いて司会をするというスタイルには視聴者の反発も強かったといわれていましたが、それまでの女性司会者にはない個性の強さがかえって20代・30代の主婦層が共感を覚え、徐々に支持を得るようになっていきました。

1968年、実業家の大伴昭と再婚

1968年(昭和43年)3月、日本コカ・コーラ等、海外企業の日本での現地法人設立に数多く参画していた実業家の大伴昭(後に日本ポラロイド、キヤノン取締役、カルティエ・ジャパン社長を歴任。2018年没、享年89)と再婚。

「夜のヒットスタジオ」の司会が当たり役に

「小川宏ショー」を降板しますが、同年11月、フジテレビ系「夜のヒットスタジオ」スタートと同時に当時の人気司会者・前田武彦(マエタケ)と共に司会に抜擢されました。

前田武彦 芳村真理 夜のヒットスタジオ

当初はマエタケのアシスタント的色彩が強かったが、マエタケ降板の後からは芳村真理さんがこの番組の屋台骨となっていきました。

男性司会者は三波伸介、井上順、古舘伊知郎と交替する中、芳村まりさんは1988年(昭和63年)2月の第1000回で降板するまで司会を担当しました。

 

芳村真理さんとともに「夜のヒットスタジオ」の司会を務めた井上順さんの記事は別にまとめてあります!

井上順
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その後も、「3時のあなた」(フジテレビ)、「ラブラブショー」(フジテレビ)、「料理天国」(TBS)など斬新な企画を目玉とする番組の司会を担当していました。

「ラブラブショー」伝説のカップルが誕生!

芸能人のカップルを招いてのトーク番組で芳村真理さんが司会で二人を盛り上げるスタイルで話題になりました。

カップルは番組の演出上の組合わせでしたが、関口宏と西田佐知子、石坂浩二と浅丘ルリ子、郷鍈治とちあきなおみ、三浦友和と山口百恵などその後結婚したカップルも多く出演していました。

レポーターの宮尾すすむさんも人気者になりましたね。

宮尾すすむ宮尾すすむ

 

1975年、元祖グルメ番組「料理天国」スタート

今でこそテレビ番組でグルメや料理の番組が多くありますが、「料理天国」は料理+バラエティのはしりでしたね。

料理天国 芳村真理

当初関東ローカルの番組としてスタートし、その後全国ネット番組に。

当時歌番組の司会で人気だった芳村真理さんが司会に、進行アシスタントとして西川きよしさんとのコンビでした。

 

芳村真理さんの若い頃、まとめ

モデルでデビューして映画に出演、そしてテレビの司会業へ。

司会をされているときもモデルの経験から印象的な衣装や髪型で出演されていたのがテレビにマッチしていたと思います。

芳村真理さんは多彩な活躍をされてきましたが、業績に対して過小評価されていると感じました。