妻の岡江久美子さんを亡くされて、悲しんでおられる大和田獏さんの姿をテレビで見ました。
おしどり夫婦で仲が良かっただけに突然のコロナウイルスでの死は残念でなりません。
改めて大和田獏さんの経歴をまとめてみました。
大和田獏さんのプロフィール
- 本名 :大和田 芳朗
- 生年月日 :1950年10月13日(69歳)
- 出生地 :福井県敦賀市
- 身長 :170cm
- 血液型 :AB型
- 名古屋市立菊里高校
- 名古屋市立大学経済学部卒業
大和田獏さんの若い頃、家系がスゴかった!
大和田獏
さんは、敦賀の商人・大和田荘七の子孫にあたります。
大和田荘七は、北前船の船主で、大和田銀行、大和田貯金銀行を創立した人物です。
敦賀市には銅像も立っています!
大和田獏さんの父親は敬虔なクリスチャンで、母親である大和田恭子は天真爛漫な人物であったようです。
父親の勝は若い頃、大和田一族が経営する大和田銀行を辞め、満州に渡り、製粉会社に勤め、嫁探しに福井県に一時帰った後、恭子と出会い、満州へ連れ帰って結婚したとされています。
兄の大和田伸也さんとともに、エリートの家系ですね。一般人とはなにか違います(;^ω^)
大和田獏さんの若い頃、大学卒業後、芸能界へ
大和田獏
さんは、大学卒業後はテレビ局への入社を志していました。
就職活動中に中部日本放送(現・CBCテレビ)を訪れた際、同局のドラマに出てみないかとスカウトされ、「断ったら就職に響くだろう」と思い、その話を受けましたが・・・
CBCの試験には落ちてしまいました。
1973年(昭和48年)放送のテレビドラマ 『こんまい女』への出演で芸能界デビュー。
その際、同ドラマの脚本家である花登筺から、「夢を食べて夢のある大きな役者になれるように」という意味で「獏」という芸名を与えられました。
主人公は裕次郎スタイルの大和田獏、サメの化身ふくめて三人の女性に想いを寄せられる。なんという大モテ獏。漁村の長老・加藤嘉と骨のツーショットがどれもよく、排他的な群衆心理の暴走は見ごたえあるが、肝心の人喰いシーンに水族館のサメらしき画がインサートされるあたり苦労をうかがえる。 pic.twitter.com/lRitaAiXiz
— 高鳥都 (@somichi) February 26, 2020
まだ、仕事が少なかったころ、すでに俳優として人気が出ていた、兄の大和田伸也さんから、当時高価だった電話機と加入料・基本料をプレゼントされました。
役者の仕事は待つ身で、過去に伸也さんは連絡がつかなくて仕事を逃してしまった事があり、獏にはそうなって欲しくないとの思いがあったとのこと。
実際、この電話のおかげで連想ゲームの出演が決まっています。
日本が日本だった時代、素敵です??#岡江久美子 #大和田獏#日本は気高く美しいpic.twitter.com/Tu3j7wTlGm
— 旭美 千明 (@chiakiasami) April 24, 2020
大和田獏さんの若い頃、連想ゲームで共演した岡江久美子さんと結婚
『連想ゲーム』での共演がきっかけで岡江久美子さんと1983年に結婚し、同年8月、長女・大和田美帆さんが誕生しました。
1998年から2009年までの11年間は『ワイド!スクランブル』(テレビ朝日)の司会を務めました。
大和田さん 大下さん 若いなぁ!#大和田獏 #大下容子 #大下容子ワイドスクランブル #ワイドスクランブル pic.twitter.com/jRe2kZhuPi
— 遙か (@rukahan) April 24, 2020
2013年には、大和田獏・岡江久美子夫妻に「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー」が贈られました。
大和田獏さんは
「いい夫婦って呼ばれたんですけど、いい夫婦ってなんだろうと未だにわかりません。確信もいだいていません」と謙遜しながら「なんとか30年。山あり谷ありでしたが、いい30年だったし、いい夫婦だったのかなと思います」
と喜びを語っていました。
岡江久美子さんは
「いい夫婦とは思っていませんが、いい夫婦になりたいと思ってます。30年の記念にこういう賞をもらえて嬉しいです」
と話して、つかず離れずのいい距離感が円満の秘訣だと話していました。
大和田獏さんの若い頃、まとめ
大和田獏さんが知的でまじめなことは、家系や育ちの良さもあったのだと知りました。
また、芸能一家として有名ですが、兄の大和田伸也さんをはじめ、真面目に芸能活動を続けておられるファミリーでした。
岡江久美子さんのことは残念でしたが、大和田獏さんには気を落とさずに頑張ってほしいです。