1930年代生まれ

若尾文子さんの若い頃の美しさに驚愕!性典女優といわれたエロス画像も探してみましたよ

若尾文子

日本を代表する大女優の若尾文子さん

白戸家のCMでは上品な母親をコミカルに演じていましたが若い頃の美しさは当時の男性をトリコにするほどだったそうです。

そんな若尾文子さんの美人画像を探してみましたよ!

若尾文子

若尾文子さんのプロフィール

  • 本名:黒川 文子
  • 生年月日:1933年(昭和8年)11月8日
  • 出生地:東京府東京市豊島区(現:東京都豊島区)
  • 宮城県第二女子高等学校(現・宮城県仙台二華高等学校)中退
  • 配偶者:黒川紀章(死別)

若尾文子さんの父親、若尾定雄は山梨県南巨摩郡身延町の出身。

父親は尾形金声の名で活動弁士をしていましたが、戦後は大塚駅前で長靴屋をやっていました。

東京府東京市荒川区(現:東京都荒川区)に5人兄姉の末っ子として誕生。

小学校の時に戦争が始まり宮城県仙台市に疎開していました。

疎開先で兄が他界、その後お母さんも亡くなり、お姉さんが母親代わりとなって育ててもらったそうです。

女学校時代のニックネームは石仏、これはカラダが弱く読書ばかりして、ほとんど声を出してしゃべらなかったことから同級生につけられたということです。

娯楽のなかった時代、学校で禁止されていた映画をお父さんについて見にいくのが楽しみでした。

仙台に疎開中、学校の帰りに友人と大通りを歩いていたら、仙台座という劇場の楽屋口に檻に入った小熊を見つけ、可愛いので駆け寄ると、

劇場から三味線の音がして長谷川一夫山田五十鈴が舞台から降りて楽屋口から裏に出てきました。

長谷川一夫が親しげに声を掛けてくれたので、一種の子供なりのリップサービスだったのか「女優になりたいんです」と言ってしまった。

すると「学校を卒業してからいらっしゃいね」と言われてその話はそこで終わりました。

長谷川一夫長谷川一夫

 

山田五十鈴山田五十鈴

 

仙台から東京に戻ったら、義兄が大映のニューフェイス募集に応募。

若尾文子さんは1951年に大映の第5期ニューフェイスに合格しました。

はじめは、長谷川一夫の新演劇座にはいりましたが、すぐに演劇から映画の世界へ

1952年、急病で倒れた久我美子の代役として、小石栄一監督の『死の街を脱れて』で銀幕デビューしました。

1952年  死の街を逃れて1952年  死の街を逃れて

 

1952年  死の街を逃れて1952年  死の街を逃れて

 

敗戦後の中国大陸から引き上げてくる日本人の物語でかなりシリアスな内容の映画で、若尾文子さんは18歳ながら、か弱い婦女子の群れを引っ張っていく重要な役どころを演じています

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『十代の性典』で注目され人気女優へ

翌1953年に映画『十代の性典』がヒット作となり、マスコミから性典女優と酷評されるも知名度は急上昇。

 

当初は「性典女優」などと呼ばれ、色物扱いだった若尾文子さんですが、出演作を重ね人気女優としての地位を築いていきました。

『祇園囃子』(1953年)では溝口健二監督に起用され、女優としての実力を発揮し熱演が高く評価されました。

祇園で生きる芸姑たちの生活と彼女たちをとりまく人間模様を描くヒロインの栄子役に起用され、みずみずしい演技を披露されると、入社2年目にして、たちまち「大映」の看板女優に。

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1960年代の映画全盛時代を代表する大女優となっていきました。

特に着物姿の美しさはジャパニーズビューティーとして海外でも高く評価されています。









 

若尾文子さんの若い頃、全盛時代1960年代の美しさを堪能!

若尾文子 若尾文子 ブロマイド

 

1954年【舞妓物語】若尾文子 根上淳1954年【舞妓物語】若尾文子 根上淳

 

 

1955年(大映)「幸福を配達する娘」1955年(大映)「幸福を配達する娘」

 

1955年【月に飛ぶ雁】 若尾文子 安西郷子1955年【月に飛ぶ雁】 若尾文子 安西郷子

 

最高殊勲夫人 若尾文子 川口浩1959年 最高殊勲夫人(大映) 若尾文子 川口浩

 

1959年浮草 若尾文子:川口浩1959年浮草 若尾文子:川口浩

 









1960年(大映)【偽大学生】若尾文子 ジェリー藤尾 三田村元 大辻伺郎1960年(大映)【偽大学生】若尾文子 ジェリー藤尾 三田村元 大辻伺郎
瘋癲老人日記(大映)1962年 瘋癲老人日記(大映)

 

1963年(大映)【女が愛して憎むとき】若尾文子 田宮二郎1963年(大映)【女が愛して憎むとき】若尾文子 田宮二郎

 

1964年【卍】若尾文子/岸田今日子1964年【卍】若尾文子/岸田今日子

 

1964年【卍】若尾文子1964年【卍】若尾文子

 

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1964年「女の小箱」より 夫が見た(大映)若尾文子、田宮二郎1964年「女の小箱」より 夫が見た(大映)若尾文子、田宮二郎

 

若尾文子 田村高廣 『清作の妻』1965年(大映)『清作の妻』若尾文子 田村高廣

 

1960年代後半から映画が斜陽産業となりテレビの時代が近づいてきました。

そんな時代背景もあり、若尾文子さんは1968年、「クラクラ日記」でテレビドラマデビューを果たします。

クラクラ日記 若尾文子 藤岡琢也「クラクラ日記」若尾文子さん 藤岡琢也さん

 

1971年には大映が倒産、本格的にテレビが娯楽の中心となっていく中でテレビドラマに軸足を移していきました。

1972年大河ドラマ「新・平家物語」では源義朝の側室、常盤御前を演じました。

新・平家物語 常盤御前 若尾文子新・平家物語 常盤御前 若尾文子

 

まだ大河ドラマは10作目ということで現在のような位置づけではなく、売れっ子の映画俳優がテレビに出ることが一般的ではありませんでしたが、

平清盛役の仲代達矢さん、妻の時子役は中村玉緒さん、父の忠盛役は十七代目中村勘三郎さんで、時子の弟、時忠役は山崎努さん。

清盛の最期を看取る医師・阿部麻鳥役は緒形拳さん、など当時のテレビドラマではありえない豪華なキャストでした。

放送された1972年はテレビ放送が始まってからまだ20年しか経っておらず、戦前からの歴史がある映画とはまだまだ比較にならない位置づけでした。

仲代達矢
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1988年の大河ドラマ『武田信玄』では信玄の母親役とナレーションをこなし、「今宵はここまでに致しとうござりまする」が流行語大賞を受賞するなどして再び注目されました。

若尾文子さん、CMでも大活躍

1979年の「伊藤ハム」のCMでは美しい着物姿と洋服のスタイルがとても素敵でした。

声も美しい!!

日清のインスタント麺、ごんぶとのCMではスティーブン・セガールと共演しています。異色のコンビがユニークです!

すでに懐かしく感じる、ソフトバンクの白戸家のCM。着物がよく似合いますね。

若尾文子さんの若い頃、まとめ

日本を代表する大女優といっていい若尾文子さんですが、美しさだけでなく気さくな性格でコミカルなCMでも活躍されていました。

膨大な作品に出演されていますが若い頃の出演作も視聴してみたいと思います。