栗原小巻さん
は、「コマキスト」と呼ばれる熱狂的な男性ファンを生み出すなど、アイドル的存在としてデビュー
そして日本を代表する大女優になりました。知的で美しい画像を集めてみましたよ!
栗原小巻さんのプロフィール
- 本名:栗原 小巻
- 生年月日:1945年(昭和20年)3月14日
- 出生地:東京都世田谷区
- 身長:163cm
- 血液型:O型
- 桐朋女子高等学中退
- チャイコフスキー記念東京バレエ学校卒業
- 特技:洋裁、ロシア語、クラシックバレエ
栗原小巻さんの若い頃、バレリーナを目指した少女時代
父は児童劇作家の栗原一登
栗原小巻さんが生まれたときはまだ戦時中、食べるものも不十分な時代で、生まれてくる子供に
困りきった⇒小巻
と名付けたというウワサも・・・
栗原小巻さんは幼い頃、バイオリンとバレエを習っていて
バイオリニストを目指していましたが、その後バレエの道を志すことに・・・
高校を1年で中退して「チャイコフスキー記念東京バレエ学校」に入学しました。
バレエを学んでいくうちに、演技力が必要と指導されたことから卒業後は
劇団「俳優座」養成所に入所しました。
#栗原小巻
昨日のNHK『あさイチ』プレミアムトークに出演。テレビドラマ放送のデビュー作は、ダムや架橋建設に携わる人間模様を描いたNHK『虹の設計』の竹越夏美役。その前に高橋長英さんと共演した『みつめいたり』(1964年)を撮影、内容が暗いと3年間お蔵入りの幻のテレビドラマデビュー作。 pic.twitter.com/IYAedEy9b0— マヤの暦・人生の自由研究 (@syowa40stvdrama) November 18, 2017
1967年『ゴメスの名はゴメス・流砂』で映画デビュー
全編香港ロケの『ゴメスの名はゴメス・流砂』で仲代達矢さんと共演しました
『三姉妹』の“お雪役”が大人気に!『コマキスト』が生まれた!
1967年、NHKの大河ドラマ『三姉妹』“お雪役”で脚光を浴び、日本映画製作者協会新人賞を受賞しました。
NHK大河ドラマ初の女性主人公の作品で幕末の動乱から明治維新を迎えるまでを、旗本の三姉妹の視点から描いています。
時代劇からサスペンス、青春映画まで幅広い役柄を演じていますね。
1970年、『新・男はつらいよ』でマドンナ役に抜擢!
“とらや”に下宿する幼稚園の先生を演じていました。
【映画の美男美女画像】(273)
栗原小巻
倍賞千恵子『新・男はつらいよ』
1970年
監督:小林俊一#映画美女 #栗原小巻 #倍賞千恵子 #新・男はつらいよ #小林俊一 #映画の美男美女画像 pic.twitter.com/mLsy7Zd1Cc— 小諸橋マイルス@歌謡曲生活者 (@miles_kom) November 12, 2020
後に、1985年の36作目の『男はつらいよ・柴又より愛をこめて』でもマドンナを努めています
吉永小百合さんファンの『サユリスト』、栗原小巻さんファンの『コマキスト』と当時の男性に圧倒的に支持されましたが、『忍ぶ川』での大胆な演技に賛否両論、『コマキスト』にとってショックだったようです・・・
映画『忍ぶ川』の大胆な演技が話題に!
1972年、『忍ぶ川』の演技で毎日映画コンクール主演女優賞、ゴールデンアロー賞映画賞、エールフランス女優賞を受賞。
学生の哲郎(加藤剛)が、東京下町の料亭“忍ぶ川”の看板娘・志乃(栗原小巻)と知り合い、やがて恋に落ちて結婚。
哲郎の故郷でもある雪深い東北の地で初夜をむかえます・・・
当初、主演には吉永小百合さんが予定されていましたが、ヌードシーンがあったからでしょうか?
栗原小巻さんが主演することになりました!
二人が愛し合うシーンそのものズバリの画像は掲載できないのでギリギリ攻めています・・・
この映画はカラーではなくあえて白黒で撮影されたそうです。映像の美しさが伝わってきますね。
当時の週刊誌の表紙をみると人気女優だったことがわかりますね
1974年、『サンダカン八番娼館 望郷』が海外でも話題に
戦前の海外売春婦「からゆきさん」を描いた問題作。
封切り当時は、高橋洋子さんのヌードシーンが話題になったようです。どうも女優のヌードが話題になる時代だったようですね。
しかし、田中絹代さんの圧倒的な演技力に惹きつけられます
日本の女性の近代史を研究している三谷圭子(栗原小巻)は、旅行中の天草で偶然、おサキさん(田中絹代)という老婆と知り合う。
現在貧しい暮らしをおくる彼女が、ボルネオに出稼ぎしていた元「からゆきさん」であることを知った三谷は、おサキさんの家に泊めてもらい、その半生を聞き、書き取る。
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栗原小巻さん、国際的な人気女優へ
デビュー前にボリショイ・バレエ団のメッセレル女史らの指導を受けていたことやロシア語が得意なことなどから、1974年に日本とソ連(現ロシア)の合作映画『モスクワわが愛』に出演。
栗原小巻さんは白血病に侵されたバレリーナ役で、かつて目指していたバレエをここで披露するとともに、ソ連の映画ファンから絶大なる支持を受けました。
「バレリーナになる夢は俳優になることで達成しました」と話しています
ロシアでは度々再放送されて今でも人気があるようです。
1976年には木下恵介監督作品、『スリランカの愛と別れ』でスリランカ長期ロケ
1985年には『菩提樹(ピパル)の丘』でネパールの地に幼稚園を作るべく奔走する日本人女性を演じ
1990年には日ソ合作としては3作目となる『未来への伝言』を自ら企画し、出演。
1991年、中国残留孤児を題材にした謝晋(シェ・チン)監督の中国映画『乳泉村の子』で、我が子を捨てざるをえなかった悲劇の日本人女性を演じるなど国際的な活躍で“コマキスト“が増えていきました!
栗原小巻さんの若い頃、まとめ
映画・テレビドラマ・演劇と幅広く活躍されて、アジアにも多くの“コマキスト”を生んだ栗原小巻さんですが、若い頃の映像をみても古さを感じさせませんね。
作品が多すぎてとても全部は視聴できませんができるだけ見てみたいです!