三田佳子さんは、息子さんの問題で世間を騒がせていますが、素晴らしい経歴の大女優であることは変わりありません。
そんな三田佳子さんの若い頃を画像を交えてふりかえってみます。
出典元:三田佳子オフィシャルブログ
三田佳子さんのプロフィール
- 本名 高橋 嘉子
- 生年月日: 1941年10月8日
- 女子美術大学付属高等学校・中学校卒業
- 生まれ: 大阪府 大阪市
- 配偶者: 高橋康夫 (1974年から)
- 血液型 O型
三田佳子さんは1941年、昭和16年大阪府大阪市で生まれました。太平洋戦争の開戦2カ月前ですね。
生後半年で東京都に移り、3歳の年に一家で山梨県へ疎開、終戦後は下北沢を経て中野区で育ちました。
右の後ろのおかっぱが三田佳子さんですね。小学生のころの写真です。
中学生のころから子役としてテレビ・ラジオ番組に出演していました。
当時から逸材として高校在学中から映画会社数社にスカウトされるが断り続け、高校を卒業した1960年春に第二東映へ入社。
出典元:三田佳子オフィシャルブログ
東映入社の条件は「水着の写真を撮ること」、それまでひざ上のスカートもはいたことのなかった三田佳子さんはとても恥ずかしかったそうです。
1960年、『殺られてたまるか』で女優デビュー
当初から主役級で起用され、佐久間良子に次ぐ東映現代劇の看板女優との扱いを受けました。
三田佳子さんの若い頃を画像で振り返ります
出典元:三田佳子オフィシャルブログ
出典元:三田佳子オフィシャルブログ
出典元:三田佳子オフィシャルブログ
出典元:三田佳子オフィシャルブログ
出典元:三田佳子オフィシャルブログ
東映では、在籍した7年間でおよそ60本の映画に出演しました。
1967年に東映を退社しフリーとなり、テレビと舞台を中心に活動していきます。
出典元:三田佳子オフィシャルブログ
出典元:三田佳子オフィシャルブログ
出典元:三田佳子オフィシャルブログ
1986年NHK大河ドラマ「いのち」で共演した石野真子さんと
「いのち」のロケで役所広司さんと
1987年「別れぬ理由」津川雅彦さんと共演
1989年「極道の妻たち~三代目姐
出典元:三田佳子オフィシャルブログ
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1990年「外科医 有森冴子」
1992年「遠き落日」
三田佳子さんの若い頃、CMでも大活躍
万人に愛されるキャラクターからCMでも大活躍しました。いくつか見てみましょう。
西濃運輸のCM(1991年)
三田佳子さんといったらこのCM。
今見たら「せーの!」と「西濃」でかけてたのか…!
西濃運輸『カンガルー便』 CM 【三田佳子】 1991/08 https://t.co/pL4Aa2nVyo @YouTubeより
— 真夜中のナラティ (@midnightnaraty) September 12, 2018
スニッカーズのCM(2006年)
このとき、三田佳子さんは65歳です。このような演技をするとはお見事です!
スニッカーズのCMほんま笑えるww
貞子編
私は女優よ!!#三田佳子 pic.twitter.com/xFOGXq4ac9— わ◯きー! (@WaKKi_WaiKiKi) January 31, 2020
三田佳子さんの若い頃、まとめ
三田佳子さんの若い頃の活躍を画像をメインに見てきました。美しいのみならず、だれからも愛される女優ですね。
これからも生涯現役を続けてほしいです。