「たそがれマイラブ」「シルエットロマンス」などのヒット曲で知られる、大橋純子さん
2018年にがんを公表し、闘病生活を続けていました・・・
再起しアルバムも作成して今後の活動に期待していましたが
残念ながら2023年11月9日に73歳で亡くなってしまいました・・・
大橋純子さんの若い頃からの活躍を振り返ってみたいと思います。
大橋純子さんの経歴は?
1974年のデビュー以来、日本人離れした歌唱力と表現力で次々とヒットを飛ばし、
1977年、マジョルカ世界音楽祭では「シンプル・ラブ」を歌い、
第3位入賞を果たすなど、その歌声は当時から海外でも高く評価されてきました。
翌1978年には、「たそがれマイ・ラブ」が大ヒット。
1982年に「シルエット・ロマンス」で、日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞
1992年には「愛は時を越えて」で、日本レコード大賞編曲賞受賞と、日本歌謡界に大きな足跡を残しました。
大橋純子さんは1950年4月26日北海道生まれの団塊世代です。
大橋純子さん、1974年6月メジャーデビュー
1974年6月に歌手デビュー
1976年にバックバンドとして「美乃屋セントラルステイション」が結成されました。
このバンドのギタリストは、後に、一風堂というバンドを結成する土屋昌己さんが在籍していました。
「すみれ September Love」というヒット曲がありました。
#NowPlaying️
?すみれ September Love (1982.7.21)#一風堂
作詞:竜真知子
作曲・編曲:土屋昌巳 pic.twitter.com/UWBV3GmVqb— KIRIBOH?洋楽・邦ロック・テクノ専門 (@kiribo_yogaku) August 8, 2020
また、キーボードの佐藤健さんは、大橋純子さんと1979年に結婚されています。
大橋純子さん、1977年「シンプル・ラブ」がヒット
作詞:松本隆 作曲:佐藤健の「シンプル・ラブ」がヒットしました。
1977年のヒット曲には、
- ピンク・レディー:「渚のシンドバッド」
- 森田公一とトップギャラン:「青春時代」
- ピンク・レディー:「ウォンテッド (指名手配)」
- 沢田研二:「勝手にしやがれ」
- 小林旭:「昔の名前で出ています」
- さだまさし:「雨やどり」
などがあります。シティポップ調の曲はまだ珍しかった時代ですね。
大橋純子さん、1978年「たそがれマイラブ」がヒット
レコード大賞、金賞を受賞しています。
大橋純子さん、1982年「シルエットロマンス」がヒット
日本レコード大賞、最優秀歌唱賞を受賞しています。
歌詞、歌唱力共に素晴らしいですね。
大橋純子さんの身長は?
小柄な大橋純子さんのパワフルな歌声から、今回、気になって調べてみましたが、身長は非公表とのことでした。
しかし、宝塚出身の姿月あさとさんとの2ショットでは、
大橋純子さんは、身長が20センチ近く高い姿月にクリスマスプレゼントとして「身長を5センチ分けて」とねだって笑わせるなど、息のあったところを見せていた。
姿月あさとさんは身長172センチとのことですから、大橋純子さんは150センチ台前半といったところでしょうか?
病気からの復帰作を発表
2019年5月には、45周年 記念アルバム『Terra 3~歌は時を越えて~』が発売されました。
収録曲:
- 星に願いを
- 黄昏のビギン
- 別れのサンバ
- 卒業写真
- 夢で逢えたら
- シルエット・ロマンス
- SWEET MEMORIES
- 愛は時を越えて
- 接吻
- 蕾
発表されたカバー楽曲は1940年代の「星に願いを」から、2000年代のコブクロ「蕾」まで、昭和・平成を代表するナンバー大橋純子が望み、いま歌いたい10曲が揃った。楽曲アレンジには、灘中・高等学校、東大を経て音楽家の道に進み、その天才的な感性で若干30歳にして数々のTV番組、CM音楽を手掛ける新進気鋭のプロデューサー、園田涼を起用。平成から次の時代にかけて飛躍せんとばかりの才能、園田涼と、大橋を夫としても支え、一番の理解者として横に立つ作曲家、佐藤健が楽曲ディレクションとして参加。新たなサウンドにて生まれ変わる楽曲と、闘病後も変わらぬ歌声で魅了する大橋純子との、奇跡のコラボが実現したのであった。
出典:amazon.co.jp
大橋純子さんの若い頃、まとめ
大橋純子さんのパワフルな歌声、名曲が聴けなくなってしまいました。
73歳はまだまだ若く残念ではありますが
歌は残ります。
これからも素敵な歌声を聞いていたいと思います。