倍賞美津子(ばいしょう みつこ)さんは、姉の倍賞千恵子さんが「男はつらいよ」のさくら役など庶民派女優として活躍したこととは異なり、
都会的な女の情念を表現する演技で人気女優となりました。
そんな倍賞美津子さんの若い頃の美しさを振り返ります。
倍賞美津子さんのプロフィール
- 生年月日 1946年11月22日
- 出身地 茨城県
- 血液型 B
- 配偶者 アントニオ猪木(1971年 – 1988年)
- 著名な家族 倍賞千恵子(実姉)
幼少時に東京都北区に移り、北区立紅葉中学校卒業後、1962年に松竹音楽舞踊学校に入学しました。1965年松竹歌劇団に第18期生として入団します。
姉の倍賞千恵子さんは、5歳年上で、1957年に松竹音楽舞踊学校に入学。1960年松竹歌劇団に第13期生として入団しています。
倍賞美津子さんは、学校生時代の舞台実習を経て、同年、グランドレビュー「東京踊り」で芸能界デビューしました。
1967年、『純情二重奏』で実姉の倍賞千恵子と異母姉妹を演じ、映画デビュー。
1969年、五社英雄監督の『人斬り』で京都市民映画祭の新人賞を受賞。
主人公の岡田以蔵のなじみの女郎役を演じ、セミヌードの体当たりの演技が評判となりました。
1979年、今村昌平監督の『復讐するは我にあり』にてブルーリボン助演女優賞を受賞して女優としての地位を確立。女の深い情念を表現できる女優となっていきます。
今日は倍賞美津子さん誕生日。「喜劇・女は度胸」から森崎東監督作の常連。徐々に実力を身につけ、「復讐するは我にあり」の大胆なあの場面はグッときました。達者な演技力に加え顔つきや肉体のスケールが大きく、もっとカッコいい役を演じて欲しかったです。「探偵物語」の弁護士役スピンオフとか。 pic.twitter.com/5DuDUaLNp2
— 阿乱隅氏 (@yoiinago417) November 21, 2019
劇場公開時以来の『楢山節考』。倍賞美津子演じるおえいとケーシー高峰の夫婦がまるっきりトリアー監督の『奇跡の海』の設定と同じであったことに今さら気づく。間違いなくトリアー監督も見てるよね。 pic.twitter.com/slQvUS0piG
— 佐藤佐吉 Sakichi Sato (@sakichisato) September 29, 2015
1985年「陽暉楼」
陽暉楼の女将・お袖を演じました。
1985年、『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』『恋文』の演技で国内の映画賞を総なめに・・・
「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」(1985)
凄まじい。倍賞美津子は、「チャイナ・シンドローム」のジェーン・フォンダと同じくらい尊敬する。 pic.twitter.com/mGImmFSXwY
— 川口 宏 (@Knulp55) July 9, 2016
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倍賞美津子さん、1971年アントニオ猪木さんと結婚
私生活では、1971年、アントニオ猪木さんと結婚。
猪木と倍賞美津子の結婚式
アントニオ猪木
倍賞美津子
ジャイアント馬場 pic.twitter.com/57PGmDFWKT— 俺 藤川愼也 (@b34896shnya211) June 10, 2016
当時、1億円の結婚式で話題になりました。
倍賞美津子がアントニオ猪木の嫁だった事https://t.co/M2rrtqFbiF pic.twitter.com/t3wsT3RW1k
— 寅ダヨ〜【令和維震軍】 (@tora_tora_6) August 4, 2019
【昭和の食卓】アントニオ猪木・倍賞美津子 昭和52年
“燃える闘魂”はブラジルと縁が深い。一家で移住していたブラジルで、巡業で来ていた力道山に見出されプロレスの世界へ。弟の妻もブラジル人で、この日の献立もその妻から教わったブラジル料理。渋谷区の自宅にて、長女と夫妻(当時)。@retoro_mode pic.twitter.com/HuyFxo0O2t— 萬象蒐@レトロ (@bansho_akane) June 11, 2019
新日本プロレスの旗揚げ戦時には宣伝カーのナレーションを吹き込んだり、豊登が紹介した融資先に自身が行ったことで1000万円を融資してもらえたりと、新日本プロレスの旗揚げには倍賞の貢献があった。
70年代のアントニオ猪木が巨大化していったのは倍賞美津子の影響が大きかったと思う。新日本設立、伊勢丹前乱闘事件、アリ戦…みんな倍賞美津子がそそのかしたんじゃないか? pic.twitter.com/P1rCVh0tcm
— pasin (@pasinpasin) December 15, 2019
あやしい広告を見つけました・・・当時はどんなイメージだったのでしょうか?
倍賞美津子さんの若い頃、まとめ
姉の倍賞千恵子さんが「男はつらいよ」で下町の女性を演じていたのと対照的に、倍賞美津子さんは、女の情念を感じる女優でした。
70代となりましたが、まだまだ映画やドラマで活躍してもらえそうですね