伝説のロックバンド『頭脳警察』は学生運動が激しかった1970年から活動、過激な歌詞で日本語によるロックを歌い熱烈に支持されました。
リーダーのパンタはソロ活動も含めて、70代となった現在も若いミュージシャンに支持されて『頭脳警察』は活動しています。
発売禁止となった『頭脳警察ファースト』は、長い間幻のレコードとなっていましたが・・・なぜなのか?調べてみました。
この投稿をInstagramで見る
パンタのプロフィール
- 出生名:中村 治雄(パンタ)
- 生誕:1950年2月5日
- 出身地:埼玉県所沢市
- 所沢小学校
- 私立海城中学校
- 私立海城高校(退学)
- 私立錦城高校卒業
- 関東学院大学
- 2023年7月7日、73歳没
大学在学中に、弘田三枝子のバックバンドとしても活躍していたグループサウンズのバンド「ザ・モージョ」に参加するが脱退
その後高校時代からの遊び仲間で親友だったPANTA(中村治雄)とTOSHI(石塚俊明)は大学在学中に、千葉正健に誘われてバンド『スパルタクス・ブント』を結成、アニマルズやスペンサーデイビスグループの曲を演奏していました。
千葉正健がキーボードで、PANTAがベースを弾きながら唄い、TOSHIがドラムというトリオでした。
このバンドは3,4ヶ月で自然消滅し、『頭脳警察』結成に繋がっていくわけですが
千葉正健という人物は1940年生まれでPANTAより10歳年上、中央大学で社学同に属した左翼活動家でした。
社会主義青年運動のリーダーとして活動、のちに改造銃で警察官を襲撃して逮捕されます。
『スパルタクス・ブント』結成当時、千葉正健は夫婦で活動家でしたが、
PANTAやTOSHIは政治活動に全く興味がなく千葉正健が左翼活動家であったことも知らなかったということです。
しかし、『頭脳警察』と学生運動は密接につながっていきます。
それだけ学生運動が身近であった時代だったのでしょう。
1969年12月『頭脳警察』結成
『頭脳警察』
という名前はフランク・ザッパのマザーズオブインベンションの曲、who are the brain police?から借用されました。
初期のメンバーはPANTA(中村治雄)とTOSHI(石塚俊明)に加え、小学校時代からの友人、栗野仁(ベース)と左右栄一(ギター)で結成
『頭脳警察』1970年より活動開始
1970年4月「第3世界のヘッドロックコンサート」に出演、デビューステージでした
1970年5月「日劇ウエスタンカーニバル」でPANTA(中村治雄)はステージでほとんどの客がGSファンの女の子の前でマスターベーションをしてパフォーマンス、大事件となりました
1971年6月、ブレヒトの詩の曲をつけた「赤軍兵士の歌」発表
赤軍派の「世界革命戦争宣言」に曲をつけて発表
1971年当時のライブ映像をみてみますと、現在の音楽ライブとは全く違う混沌とした熱さがありますね。
1971年11月、三田祭前夜祭で遅刻してきた『頭脳警察』メンバーと「風都市」(はちみつぱいやはっぴいえんどの事務所)がトラブルとなり、「はっぴいえんど」の演奏前に強引にステージに上り一時間演奏、
「はっぴいえんど」は一曲しか演奏できず、トリだった吉田拓郎は結局演奏できずに終わったといわれています
ファーストアルバムが企画されたとき、頭脳警察側では「いくらなんでも発売はむりだろう」と話していましたが、
レコード会社は「大丈夫です。大船に乗ったつもりでいてくれと・・・」
それではということで
1972年1月、『頭脳警察』ファーストのライブレコーディングがおこなわれました
しかし・・・カッティング寸前で発売中止勧告がきました
「銃を取れ」では過激なアジテーションが繰り返されていましたし、
「言い訳なんかいらねえよ」という曲の歌詞には
浮気した彼女をなじるときに、“言い訳なんかいらねえよ てめえのマ○コに聞いてみな”といった、それはいくらなんでも無理でしょと・・・言う内容でした。
というわけで急遽
1972年2月下旬、アルバム「頭脳警察セカンド」をレコーディングしました
この投稿をInstagramで見る
1972年3月、「頭脳警察ファースト」の発売中止決定
- イントロダクションー世界革命戦争宣言
- 赤軍兵士の詩
- 銃を取れ(Part1)
- さようなら世界夫人よ
- 暗闇の人生
- 彼女は革命家
- 戦争しか知らない子どもたち
- お前が望むなら
- 言い訳なんかいらねえよ
- 銃を取れ(Part2)
1972年5月、「頭脳警察セカンド」が発売
「頭脳警察ファースト」
で問題とされた部分の歌詞を修正し、楽曲を入れ替えて制作されました
しかし、発売後一ヶ月ほどたったときレコード倫理審査会からのクレームで店頭から回収処分になりました。
1972年8月、「頭脳警察セカンド」発売中止記念コンサートを企画するが、中止になりました。
この投稿をInstagramで見る
ファースト、セカンドが発売できなくなった『頭脳警察』ですが、引き続きアルバムを制作。
PANTAはひどい歌詞の楽曲をレコ倫に提出、却下されたのち修正してサード・アルバムを制作。
1972年10月、サード・アルバム発売
1曲目の「ふざけるんじゃねえよ」はひどい歌詞ですが、ぎりぎりセーフだったのでしょうか?
1973年4月、アルバム「誕生」発売
1973年8月、アルバム「仮面劇のヒーローを告訴しろ」発売
1974年11月、アルバム「悪たれ小僧」発売
1975年12月、発売禁止になった「頭脳警察ファースト」を自主制作
「頭脳警察サード」から順調に4枚のアルバムを発表し、ライブ活動も積極的におこなっていた「頭脳警察」ですが、革命三部作のイメージで括られることが重圧になってきていて
パンタ「あんまり醜くならないうちに葬式あげてやろうか」
トシ「いつ言い出すのかまっていた」
と、二人で解散を決めました
密かに「頭脳警察ファースト」発売の機会を伺っていたパンタは
ビクターの倉庫から、何者かがマスターテープを盗み出して海賊版がでた
という設定で再発売の機会を伺っていました。
それを目ざとく聞きつけたファンから予約の代金が現金書留で届くようになってしまい、
しかしそんなお金は片っ端から使ってしまっていました
「頭脳警察」解散が決まってなんとかしなくてはいけないと
自腹で30万円ほど出して600枚分をプレス
郵便で送るために、ジャケットを袋代わりにしなければならず、通常よりも大きなジャケットで制作。
1975年12月31日、渋谷屋根裏で解散ライブ当日
「頭脳警察ファースト」
発送のために、車に積み込んで郵便局に持っていったところ
自分たちでハンコを押してくれてといわれて、郵便局のロビーで3億円犯人の指名手配のジャケットを広げて押して回って無事に発送を終えて
その足で渋谷屋根裏で解散ライブへいき「頭脳警察」は解散しました。
「頭脳警察ファースト」が中古レコード店で高騰!
このような経緯で自主発売された、「頭脳警察ファースト」は実際には600枚には満たない数量だったようで、しかも手放す人が少なかったせいで中古レコード店で価格が高騰!
100万とも200万ともいわれていました。
ネット社会となり、ヤフーオークションで中古品の流通が盛んになってもほとんど流通することはなく、音源を録音したカセットテープをおまけでつけて出品されていました。
しかもダビングを繰り返した音質のものだったようです。
1981年、「頭脳警察セカンド」が再発売
その後もファーストは長く発売されていませんでしたが、
2001年ついに「頭脳警察ファースト」が再発売、当時レコ倫対策でノイズ処理されていた部分もオリジナルのまま再現されました。
再発売によってファーストの高騰も終了。それでも数十万円の価格で取引されているようです。
頭脳警察ゲストボーカルに仲野茂(亜無亜危異)参加!6月5日(日)渋谷lamamaにて療養中のPANTA応援ライブ「P-FES VOL.1」開催決定!
チケット申し込みはlamama.ticket@gmail.com
【ローソンチケット】
Lコード:71956
販売ページ:https://t.co/JSLnYbsmvC
詳細→https://t.co/ACzBA4HlV6 pic.twitter.com/9EaegFKpjB— PANTA頭脳警察オフィシャル (@pantazkofficial) April 4, 2022
『頭脳警察』パンタのファーストアルバムは100万円で取引されていた!まとめ
病と闘いながら、若いメンバーと頭脳警察の活動を続けていましたが、残念ながら2023年7月7日に亡くなりました。
高校時代に友人から当時、PANTA&HALの『マラッカ』のレコードを聴かせてもらってから数十年がたち、数々の素晴らしい曲を残してもらいました。
パンタの曲は古くならないのでこれからも聴かれていくと思います。